2021年4月12日
「主イエスがお出でになる道」マタイ連講[005]
聖書 マタイ3章1〜12節 3章は「そのころ」と記して新たな話題に移ります。主イエスさまが「ナザレ人と呼ばれ」るようになるくらいガリラヤのナザレで暮らしなさった、その頃ということで、それなりの年月が経っていることが暗示されています。マタイはイエスさまが公のご生涯に入りなさる...
2021年4月8日
「私たちが信じた福音」(イースター礼拝)
聖書 第1コリント 15章1〜11節 「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」...
2021年3月29日
「痛みの中で神は」棕櫚の聖日礼拝 マタイ連講[0004]
マタイ2章13〜23節 受難週の出来事は、一つ一つその中で主イエスさまがお苦しみをどのように受け止めなさり、向き合いなさり、やがて勝利されたのかを私たちに力強く説き明かします。今朝お読みしました場面は同じように主イエスさまのいのちを亡きものとするために生み出された危機であり...
2021年3月22日
「まことの礼拝」マタイ連講[003]
聖 書:マタイ2章1〜12節 クリスマスの時期にはこの出来事を通して救い主イエスさまに導かれていく人々の様子を追うことが多いように思います。とても大切なメッセージです。ただ、今朝はマタイ福音書を学ぶ目的でこの箇所をお読みしていますから、もう少し出来事の全体に目を配りたいと思...
2021年3月15日
「ともにおられる神」マタイ連講[002]
クリスマスの時期でもないときに、改めてマタイ1〜2章をお読みすることでこの聖言が私たちに語りかけるメッセージを新鮮に受け取ることができるのではないかと期待しています。今朝の場面をよく読み返しますと確かにイエスさま誕生の記事なのですが、実際にイエスさまが誕生された瞬間を捉えて...
2021年3月7日
『歴史を背負ってお生まれに』マタイ連講[001]
聖 書:マタイ1:1〜17 マタイの福音書は伝統的に主の弟子の一人マタイの名前が記者としてつけられています。この福音書が広く読まれるようになった頃には、これを使徒マタイの筆によるものとして読み、尊び、そして次の世代に渡して参りました。マタイはイエスさまに召されて弟子になった...
2021年3月1日
「多くの人のいのちを」創世記連講[75](終)
創世記の記事はヨセフが110歳の長寿を全うして召されたこと、その遺体は父ヤコブ同様にミイラにされたこと、そして亡くなる前にヤコブ同様、神さまが再び一族をエジプトの地からカナンまで連れ帰ってくださることを告げて、語り継がれてきた神さまのお約束を次世代に伝えます。今朝、特に心を...
2021年2月21日
「信仰を生きる証詞」創世記連講[74]
聖書:創世記50章1〜14節 今朝お読みしました場面は一人の信仰者がその生涯を全うして召されるところです。これまでも埋葬の場面は何度か描かれてきましたが、ここまで克明に記録されているものはありません。明らかに創世記が最後に伝えたいメッセージが込められています。...
2021年2月14日
「主の救いを待ち望む」創世記連講[73]
聖 書:創世記49章16〜33 説教題:「主の救いを待ち望む」 今日はちまたではバレンタインデーだと言われています。愛する人々、尊敬する人々にその思いを明かす、そういう意味では、ヤコブが自らの愛する息子たちを一人一人呼び寄せて最期のことばを授けるその心には息子たちへの豊かな...
2021年2月9日
「王権はユダを離れず」創世記連講[72]
聖書:創世記49章1〜15節 今朝御読みした箇所にはヤコブとレアの間に誕生した六人の息子たちへのことばが記録されています。特に四人目ユダへのことばが心に通っています。 長男ルベンには惜しい人、勿体無いことをした、という預言。長男としての神からの特別な祝福を無駄にしてしまった...