「ともにおられる神」マタイ連講[002]
クリスマスの時期でもないときに、改めてマタイ1〜2章をお読みすることでこの聖言が私たちに語りかけるメッセージを新鮮に受け取ることができるのではないかと期待しています。今朝の場面をよく読み返しますと確かにイエスさま誕生の記事なのですが、実際にイエスさまが誕生された瞬間を捉えてはいません。それはこの福音書が、単にイエスさまの誕生という事実を報告するのではなくて、その誕生の意味、誕生された方を明かすために記されたからです。そしてその点でこの段落は雄弁に私たちに語り掛けています。
四人の登場人物を通してイエスさまの誕生の意味が語られます。最初に登場しますのは聖霊です。それから夫ヨセフに注目が向けられます。それから主の使いがヨセフの夢の中で現れます。そして最後に厳密には人物ではありませんが、預言者イザヤをとおして語られた聖書の聖言です。
1.聖霊のみわざ
聖書の中で聖霊はあまり積極的に活動をなさいません。力強く、掛け替えのないお働きをなさいますが、目立つ形でみわざを進めなさいません。むしろ日常の中ではほとんど人の注意を引くことはありません。それだけに人は聖霊の導きや語り掛けを軽んじる危険があるようです。イエスさまもあるとき聖霊を侮辱する罪は赦されません、と厳しく戒めなさいました。イエスさまのお誕生にまつわって聖霊なるお方の働きかけがあったことに、私たちは目を留めるように招かれています。主のお誕生に神さまご自身が直接に関わっておられることを私たちに知らせる意味があります。神さまがこれまでも、アブラハム、イサク、ヤコブ、また歴代の王さまたちの業績の中で絶えず助けの御手を差し伸べて来られたように、今また乗り出しておられることを私たち読者に知らせるのが、ここで繰り返される「聖霊によって」「聖霊による」という聖言です。聖霊は昔も、イエスさまお誕生のときも、そして今も静かに、しかし確かに神さまのみわざを私たちの間で推し進めるために私たちに働きかけておられるのです。
2.正しい人ヨセフ
聖書の中で「正しい人」とはその人の人柄や背景、その人の業績が何であるかということの前に、神さまの前に相応しい歩みをしているか、神さまの御心に相応しく応答しているか、ということが問われます。ノアもそうでした。系図に登場するタマルも然り。ここでマタイが私たちに示しておりますのは、救い主イエスさまが誕生される、という大いなる出来事が実現するときに、「正しい人」がそこに深く関わっていて、まるで要のように巻き込まれていて、あらゆる動揺や苦悩の中でも彼は神さまの御思いを探り、捉え、自らを従わせていたという証詞です。私たちはいつでも神さまから「正しい人」としてご自身のみわざに巻き込まれるように招かれているのです。この福音書は確かにイエスさまの物語ですが同時に、イエスさまがなさったことや教えられたことに人々がどのように応答したかを記録した福音書なのです。まずは正しい人ヨセフの応答が示され、私たちも彼に倣うように招かれているのです。
3.ヨセフの夢に現れた主の使い
三人目の登場人物はマリヤの夫ヨセフの夢に現れた主の使いです。聖書の中で主の使いが現れるとき、私たちはその知らせに集中することが求められています。夢に現れる主の使いはことの次第を説き明かします。今ヨセフの周りで起きていること、マリヤに起きていることの全容が告げられます。マリヤが授かった男の子には「イエス」という名前をつけることが告げられます。その名前の意味は説明されませんが(「イエス」とはヘブル語で言う「ヨシュア」のギリシャ語読みで、「主は救い」という意味です)、何故その名前がつけられるのか説き明かされます。「この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」ヨセフに限らずこれは当時の人々に対して、そして私たちに対しても急所を射抜くような告知です。神さまが救い主であられることは古くから人々の信じてきたことですが、この救い主は人を、その罪から救う。人は苦難や窮地から救われても罪から救われなければいけない。悲しみや不安から救われても罪から救われなければ次の悲しみに呑まれるだけ。邪悪から解放されても罪から救われなければ、本当には救われない。いよいよ、イエスと名付けられるキリストはあなたを罪から救う。私たちはこの福音書を通して、罪から救われることの実際を見せて頂き、そしてその救いに招き入れられるのです。
4.聖書の語り掛け
最後にマタイ自身が聖書を開いて、聖書の声を私たちに届けます。預言者イザヤがある国の王さまの台頭を預言した場面です。神さまの御働きを推し進めるために登場する王さま。人はその王さまの活躍を見て「神が共におられる」と認めざるを得ないほど破竹の勢いで業績を上げる、という預言でした。
イエスさまの御誕生についてマタイが思いを巡らせるときに、そのイザヤ書の聖言が心に通い、この聖言は確かにかつてアッシリアの王さまの台頭を予見した聖言ではあったけれども、その預言の真の成就はイエスさまの誕生で実現したのだ、と悟るのです。「処女が子どもを授かる」ことが起きたら、すぐにイザヤ書のメッセージを思い出すように。そして「インマヌエル」と呼ばれる、つまりこの救い主は、神さまが私たちとともにおられる、ということを証詞する。これからじっくり語り聞かせる主イエスさまの物語をとおして、私たちはこのお方こそが罪から私たちを救う主であられることを知って信頼するように、そしてこれからその救い主は、神さまが私たちとともにおられる事実を受け入れるように招かれるのです。
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