「神共に居ますしるし」(待降節①)
聖書:イザヤ7章10〜17節
久しぶりの書き込みです。
今年もアドベントを迎えました。教会暦の「新年」です。
今年は何とか定期的にこのコーナーに書き込もうと考えています。
決して礼拝説教の要約ではありません。ここにはお伝えしたメッセージの題名と、お読みした聖書箇所、それからお話した後の感想っぽい思いの丈を二言三言つぶやこうかと考えています。
この聖句をクリスマス前にお読みしたのは、救い主イエスが「インマヌエル」と呼ばれると預言した御使いの告知のソースだからです(結構単純な理由?)。
「インマヌエル」のオリジナル・ストーリー。「神が共におられる」という意味。主イエス誕生からさかのぼること数百年、南ユダ国王アハズが北方からの攻撃におびえる中で、神がいく度も彼を励まし、力づけ、そして最終的に救いの約束として預言したのが「インマヌエル」と呼ばれる幼子の誕生。それでもこの王は神の熱烈な御顧みに関心を向けないのですよ。
人は結構強情なもの。何度でも無関心を通す。それでも神は「共に居よう」と迫るのです。
クリスマスは毎年定期的に訪れます。そして救い主の誕生が教会では伝えられます。これまで何度「結構です」と福音を退けてきたとしても、神は今年もうひとたび「共に居よう」と熱い思いを私たちに向けておられる。それだから、私は今年も救い主誕生のお話を教会でします。ぜひお出かけ下さい。お待ちしています。