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「祈り抜く立派な信仰」マタイ連講[088]

聖 書:マタイ福音書15章21〜28節


舞台が大きく変わります。これまではガリラヤ湖畔ご自身の郷里で起きた出来事を追って参りました。この先はツロとシドンの地方に退いた、と記されています。これまでも「退かれた」とあるときには静まりなさることが多かったので、この度もあるいは御弟子さんたちを休ませて上げようというお計らいだったのかもしれません。

しかし、まもなく正面から一人の女性が近づいてきて、イエスさまに訴え続けたというのが今朝の出来事の始まりです。この女性のことをマタイは「カナン人」だったと紹介しています。ユダヤ人との間の歴史的な因縁を思わせますが、この女性はそもそも厚い壁を乗り越えてイエスさまの下に来たことを読者が感じ取るように、紹介されています。それは彼女の娘が手に負えない状況に陥っていたからです。


この出来事で私たちの目を引くのはイエスさまの最初のお答えです。イエスさまは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちがこのぎこちなさに耐え切れずでしょうか、声をあげます。「この女を去らせてください。」弟子たちは多分、この女性が気の毒になって、これ以上虚しく叫ばせるのが忍びなくて、もう諦めて娘さんのところに帰るようにイエスさまからお話ください、ということだったのだろうと想像するのです。ユダヤ人はカナン人とは関わらない大人の事情もありましょう。イエスさまはお答えになりますが、これもまた私たちを戸惑わせます。「わたしはイスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」あるいは、このお答えはカナン人の女性にではなくて、弟子たちに言われたおことばなのしれません。弟子たちが彼女を気の毒に思って返してやってください、と言ったことを受けて、その通り、わたしはそもそも同胞ユダヤ人に福音を告げ知らせるのが優先だ、と言われたことになります。いずれにせよこの物語の急所は、イエスさまのこのお言葉をカナン人の女性が耳にしてしまった事実です。そして、彼女に向けられた拒絶なの意思が見られる中で、彼女がますますイエスさまにすがって、ひれ伏してさらに祈り願ったところです。主よ、私を、御助けください。

しかし主は、今度は間違いなく彼女にお答えになります。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです」。子どもたちがイスラエルの民、小犬はこの女性のことを指していることは想像できますが、私たちはこのお答えについてもイエスさまの御心を読み損ねてしまうと混乱してしまいます。決してユダヤ人を「子どもたち」と呼んで特別扱いしたり、カナン人を「小犬」と呼んで蔑んだりすることが御目的ではありません。子どもたちのために用意された食事は子どもたちに食べさせるのが当然のことだと話しておられるのです。


さてここで私たちが驚くのは、この女性が小犬を自分に当てはめてきたのです。そしてイエスさまが仰せられたことに全面賛同したのです。「主よ。その通りです。」そして再び求め続けるのです。イエスさまの御心と御目的の先に確かに御助けがあると信じ切った会話なのです。そして私たちの祈りも、よく考えてみるとそのような営みではないでしょうか。

初めは混乱するかもしれません。イエスさまは黙っておられるように、答えてくださらないように感じるかもしれません。それでも叫び続けるのです。すると主の語り掛けが聞こえ始めるのです。それを受け止めながらまた祈り続けるのです。このお母さんは主の近くに留まり、祈り求め続け、そして祈り抜いたのです。それで彼女は娘の癒しを得ただけでなく、それと同時にイエスさまの御心を確実に知らされたのです。また、自分自身が望んでいること、祈っていることが何であるのか、鮮明に輪郭が見えて来たのです。そしてそのときに、イエスさまはこのように告げてくださるのです。「あなたの信仰は立派です。」


最後にイエスさまは彼女に「あなたの願うとおりになるように」と告げなさり、娘さんは確かに癒されました。イエスさまが最後に仰せになられたこのお言葉も感慨深いものです。受難週を目指して歩んでおりますお互いですが、受難週の祈りといえばゲッセマネの祈りを思い起こします。イエスさまもまた祈り続け、祈り抜かれました。ただ、私たちがイエスさまのお祈りから学びます大切な教訓は、祈る時に自分の願うとおりではなく、神さまの願うとおりになるように、という信仰です。自分が何を欲し願うかではなくて、神さまの御心を求める祈りを献げるように教わります。そしてそれもまたその通りで、尊い御教えです。

しかしここでイエスさまははっきりとこのお母さんに「あなたの願うとおりになるように」とお答えになられました。娘さんがひどく悪霊に憑かれてしまっているから、解放してほしい。癒してほしい。そう願ったとおりになるようにイエスさまは告げなさり、その通りになったのです。これもまた私たちへのこの上ない励ましではないでしょうか。私たちが思い願うことを祈り、祈り続け、祈り抜くときに、イエスさまは語り掛けてくださるのです。そのおことばに耳を傾け、そのとおりですと頷きながらまた祈り続けるのです。そのようなお祈りが重ねられる中で、私たちの祈りと神さまの御心との間に繋がりが生まれ、深まり、その過程で私たち自身が「主よ、そのとおりです」と頷くに至り、その先に、確かにイエスさまからの祈りの答えがあります。そのお答えに私たちお互い、慰めを得、励ましを得、また喜びを得て前進を続けようではありませんか。


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