2021年9月7日
「公正を実現する生き方」マタイ連講[025]
聖 書:マタイ5章38〜42節 説教題: 「目には目を、歯には歯を。」これもモーセの書に少なくとも三回繰り返し記されている律法ですから、聖書に親しんでいる方々にとっては馴染みのある律法であろうと想像します。世間では紀元前1800年代に発布されたバビロニアのハムラビ法典の一項...
2021年8月29日
「誓いを立てる」マタイ福音書連講[024]
聖 書:マタイ5章33〜37節 今朝お読みしました段落は「偽って誓ってはならない」という戒めから始まって、「誓い」をテーマにした御教えが語られています。モーセの十戒にも「隣人について偽りの証言をしてはならない」という似た項目がありますが、実際には戒めの内容が少し違います。偽...
2021年8月23日
「人々の健全な和」マタイ連講023
聖 書:マタイ5章27〜32節 今朝は律法(モーセ)の書から二つの戒めをイエスさまが取り出された部分をお読みしました。一方は姦淫の禁止、もう一つは離婚の条件、とでもまとめられるでしょう。これらの戒めはイエスさまの時代、殊更に注目を集めた律法だったようです。福音書の中でも繰り...
2021年8月23日
「怒りの顛末」マタイ連講022
聖 書:マタイ5章21〜26節 今朝からしばらく山上の説教はモーセの十戒を中心に主イエスが、律法のおことばの中に込められている神さまの御心について説き明かされます。最初に取り上げられる律法は「殺してはならない」です。これはモーセの十戒で言えば、第6の戒めです。ただ、イエスさ...
2021年8月7日
「私たちの律法(おきて)」マタイ連講021
聖 書:マタイ5章17〜20節 今朝からいよいよ山上の説教の本題に踏み込んで参ります。ここからのキーワードは「律法」だと言えます。堅苦しい印象があるかもしれませんが、それはあるいは、律法本来の性質や意義を見誤っているからかもしれません。実際主イエスの時代にも人々の律法理解と...
2021年8月2日
「世の光として輝く」マタイ連講020
聖書:マタイ5章13〜16節 世の光という例えは、今もそうですが主イエスの時代にもよく用いられたイメージだったようです。何よりも使徒ヨハネは、イエスさまがご自身のことを「わたしは世の光です」と仰せになられたことを記録しています。地の塩も然ることながら、世の光もまた人々にとっ...
2021年8月2日
「役割を果たす地の塩」マタイ連講019
聖書:マタイ5章13〜16節 「地の塩、世の光。」とは教会の中だけではなく一般でもしばしば使われるフレーズです。しかも、「あなたがたは」と迫りなさったその眼は変わらずに鋭く群衆の一人一人に向けられています。13節と14節に、ちょうど対になるように地の塩と世の光とが並べられて...
2021年7月19日
「大いなる喜びへの招待状」マタイ連講[018]
聖書:マタイ5章1〜12節 「義のために迫害されている者は幸いです。」これもまた私たちは首をかしげるおことばです。迫害されている人は幸いです、とは簡単には飲み込めない聖言ですし、さらに言えば正義を生きているのに迫害を受けるということ自体不条理なことだと感じるかもしれません。...
2021年7月12日
「平和をつくる者」マタイ連講[017]
マタイ5章1〜9節 「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」山上の説教の場面を思い浮かべながら、イエスさまが群衆に向けてこの聖言を語られたことを想像しますと、いささか違和感を覚えます。イエスさまは平和を追求する者、平和を愛する者、望む者につい...
2021年7月5日
「心のきよい聖徒たち」(召天者記念礼拝)マタイ連講[016]
マタイ5章1〜12節 イエスさまがここで群衆に向けて「心のきよい者は幸いです」と仰せられたときの人々の反応は想像するしかありませんが、少なからずの驚きが湧いたことは間違いありません。「きよい」生き方について、心に光を当てなさったところが当時の人々にとっては新鮮なメッセージだ...