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「大いなる喜びへの招待状」マタイ連講[018]

聖書:マタイ5章1〜12節


「義のために迫害されている者は幸いです。」これもまた私たちは首をかしげるおことばです。迫害されている人は幸いです、とは簡単には飲み込めない聖言ですし、さらに言えば正義を生きているのに迫害を受けるということ自体不条理なことだと感じるかもしれません。しかし主イエスはつき従う群衆の中に紛れる人々が皆、日々の生活に戻っていきますときに好むと好まざるとに関わらず、きっと直面する現実に向き合われたのです。特に主イエスにしたがって生きようとするならば、だれしもが向き合う事柄でした。人の幸いを告げる締め括りに、最も相応しいおことばとして主イエスが選びなさったのが義のために迫害されている人の幸いだったのです。

さて、心の貧しい者から始まりました「幸い」のメッセージが、最初は心の中の人目につかないところから光を当てられて、次第に多くの注目や評価を受ける内容に拡大をしてゆき、きよい生き方、平和をつくる、そしていよいよ頂点に達する人々は義のために迫害を受ける…そのように読むことができるように思われます。しかし、それはイエスさまがお見せになろうとされた幸いの世界とは程遠いものでしょう。むしろ主は私たちがそのような誤解をしないようにおことばを選ばれたのだと思うのです。心の貧しい者に約束された御報いも、義のために迫害された人々に備えられた御報いもまた全く同じ「天の御国」。イエスさまの御前では心の貧しい者の幸いも、義のために迫害される人々の幸いも等しく尊い、そして豊かに報われる幸いなのです。そしてその間に挟まれた一つ一つの幸いもまた、文言には多くの側面が言い表されていますけれども、どれも等しく尊い幸いの道であって、私たちは皆その一つ一つに招き入れられているのです。


1主イエスとの御交わり故の迫害

さらに今朝お読みしました聖言を思い起こしますと、これまでの「幸いです」と少しパターンが変わっているところにも目が止まります。8つ目の幸いにはそれを補足するように聖言がもうしばらく続きます。これまで8つの幸いについてお話しになられたイエスさまは、「こういう者は幸いです。その人たちはどうなるからです。」と仰せになって幸いな人をみんなが見られるように描いてお示しになって来られました。しかし11節になってイエスさまは群衆に並ぶ人々と目を合わせるようになさって、「あなたがたは幸いです」と迫っておられるのです(11〜12節朗読)。さらに「義のために」と言われた主は11節では「わたしのために」と言い換えなさっています。義のために受ける迫害は、とりもなおさず主イエスさまとの御交わりがあるために受ける迫害やののしり、また悪口の数々だと説き明かされます。

イエスさまはここで私たちが受ける迫害について、線引きをなさっているのではありません。義のため、イエスさまのために受ける迫害と、そうでない、言って見れば自業自得な罵りや迫害との間に線を敷いておられるのではなく、主は群衆の中の人々がこのようにしてご自身に従うために迫害されている現実をご覧になられたのです。私たちが週ごとに礼拝で主の周りに集まり、群衆のように主の聖言に耳を傾け、しかも言われたように生きてみようと言って、それぞれの持ち場立場に戻っていきますときに、この世は私たちにどのような目を向け、ことばを投げ掛け、態度を示すのか、イエスさまはよくご存じなのです。それで私たちに語り掛けてくださっているのです。「あなたがたは、あなたは幸いです」と。


2喜びをもたらす幸い

さて主イエスはさらに聖言を続けなさいます。「喜びなさい。大いに喜びなさい。」喜びを肌身に感じる幸いに主イエスさまは招いてくださっています。そしてそれは、期待に溢れた喜びです。「天においてあなたがたの報いは大きいのですから。」私たちはなかなかこのような喜び方に馴染んでいないかもしれません。例えば贈り物をしますときに、私たちはよほど自信がないと「大いに喜んでください。喜び踊ってください」といいながらプレゼントを渡すことはないでしょう。それを考えますと、イエスさまは本当に確信に溢れた御思いを私たちに注いでおられるのです。私たちの歩みの中で、神さまの正義を生きようと試みたときに「迫害」されたりする度に、イエスさまが「大いに喜びなさい」とおことばを添えて約束をなさったプレゼントを思い出しては期待をするように、と群衆は招かれたのです。


3既に解禁されている幸せ

さて、イエスさまは最後に先人の預言者たちに対して人々が同じように迫害した歴史を紐解きました。これから迫害されると告げられ不安になる群衆に、主は聖書に刻まれている自分たちの歴史を想起させ、あらゆる反対や迫害の中で使命を貫いて生涯を全うしたことを、思い起こさせます。しかし、今群衆の目の前でイエスさまは、権威と確信を以て過去の預言者の話ではなく「あなたがたは、あなたは幸いです」と迫っておられるのです。今を生きるあなたのために備えられている豊かな報い、天において備えられている祝福、大いに喜び期待をしても余りある幸いを期待して、私について来なさい。主イエスさまは今朝も私たちをお招きになっておられます。




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