2022年8月28日
「待ち望むべき方から離れず」マタイ連講[066]
聖書:マタイ福音書11章1〜6節 弟子たちを送り出されたイエスさまは、ご自身も宣べ伝えるために立ち上がられました。そこへバプテスマのヨハネの弟子たちがイエスさまのみもとに訪れます。ヨハネ自身は囚われの身であり(4章)、身動きがとれないからです。彼はイエスさまとその福音に自ら...
2022年8月20日
「弟子たちを迎え入れる教会」マタイ福音書連講[065]
聖 書:マタイ10章34〜42節 これまでも主はご自身がお出でになられた御目的を明かされる場面がありました。山上の説教の中では律法を成就するためにと仰せられ、罪人を招くため(9章)、そして多くの人の贖いの代価(20章)としてお出でになった、と説き明かしておられます。そのよう...
2022年8月13日
「恐れ知らずの弟子たち」マタイ福音書連講[064]
聖 書:マタイ10章24〜33節 24節に進みますとイエスさまは、当時よく使われた諺のようなことをお告げになります。「弟子は師以上の者ではなく、しもべも主人以上の者ではありません。弟子は師のように、しもべは主人のようになれば十分です。」...
2022年8月6日
「狼の中に羊を送り出す」マタイ福音書連講[063]
〜伝道礼拝〜 聖書:マタイ10章16〜23節 これまで主は御心を傾けて弟子たちに、どのような形で伝道に取り組むことが相応しいのか説き明かして来られました。弟子たちは神さまの平安をもたらす存在だ、と励まされて送り出されようとしています。...
2022年7月31日
「呼ばれた弟子たち、使徒たちは」マタイ連講[062]
聖 書:マタイ10章1〜15節 これまで圧倒的な御力を示されたイエスさまは「収穫は多いので、わたしに任せなさい」とは仰せにならず、「働き手を送ってくださるように祈りなさい」とお求めになり、この収穫の働きには人手が求められることを諭されました。...
2022年7月23日
「父なる神、収穫の主」マタイ福音書連講[061]
聖書:マタイ9章35〜38節 冒頭の聖言は決して私たちの耳に真新しいものではありません。4章23節にほとんど同じ聖言が記されていて、山上の説教も、数々のみわざもそれを裏付けるようにして綴られました。主は本当に、すべての町や村をお巡りになられたと言えるほど、ガリラヤ湖畔の北や...
2022年7月18日
「『はい、主よ』と言う信仰」聖日礼拝 マタイ連講[060]
聖書:マタイ9章27〜34節 今朝は二つのみわざをまとめて御読みしました。マタイはイエスさまがなさったみわざの素晴らしさそのものに目を止めるだけでなく、この二つのみわざを通して私たちがさらに見極めなければいけない大切なメッセージがあることを示そうとしています。目の見えない二...
2022年7月11日
「これさえあれば…の信仰」マタイ連講[059]
聖書 マタイ福音書9章18〜26節 今朝お読みしました出来事も初代教会の間ではよく知られたエピソードです。マルコもルカもしっかりと記録しています。癒しのみわざが二つ同時に実現する一大事だと言えるでしょう。マタイの記録を追う限り、イエスさまはマタイの家で宴を楽しまれ、ヨハネの...
2022年7月11日
「いのちを賭けた信仰」召天者記念礼拝 マタイ福音書連講[058]
聖書 マタイ福音書9章14〜17節 今朝は今年の召天者記念礼拝をお献げすることができ、御名を崇めております。今朝お読み頂きました出来事、出来事というよりは会話ですが、これはマタイという取税人がイエスさまに招かれて弟子となり、自らの家で盛大な宴を設けてイエスさまと弟子たちを、...
2022年6月27日
「罪人を招き、罪人に招かれるお方」上半期感謝礼拝 マタイ福音書連講[057]
聖書 マタイ福音書9章9〜13節 今朝お読みした場面も先週と同じカペナウムの町中での出来事です。しかも中風の男が癒され、赦された、そこからイエスさまは進んで行かれた先での出来事です。マタイという人が収税所に座っているのをご覧になられます。私たちが今学んでいます「マタイ福音...