2022年4月9日
「十字架の足跡に従うように」棕櫚の聖日礼拝
聖書:Ⅰペテロ2:11〜25 主イエスさまの最後の1週間を間近で見届けたのは12人の弟子たちです。そのうちの一人が使徒ペテロです。福音書の記録によれば、ペテロは他の弟子たちと比べればよりイエスさまに近く、密かに尾行をするようにして、イエスさまが囚われて不当な裁判に掛けられて...
2022年4月2日
「倒れない家を築くように」総員伝道礼拝、マタイ福音書連講[048]
聖 書:マタイ7章24節〜8章1節 イエスさまの譬え話には二人の大工と二軒の家が建っています。二人の大工はある意味とても似通っています。二人とも自分の家をしっかりと建てたのです。「自分の家」というだけあって、抜かりのないように建てたはず、というイメージです。そして建てられた...
2022年3月26日
「わたしの父の御心を行う者」受難節④、マタイ福音書連講[047]
聖書:マタイ7章21〜23節 イエスさまはここでいよいよ人々の目をご自身に向けるように促しなさいます。「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者」と仰せになり、さらに天の父なる神さまについてここで初めて、イエスさまは「わたしの父」とお呼びになります。そしてこの場面を皮切りに、...
2022年3月19日
「預言者たちの結ぶ実」受難節③、マタイ福音書連講[046]
聖書:マタイ7章15〜20節 イエスさまは『山上の説教』の締めくくりに、いくつかのことを群衆にお勧めになります。先週はその第一弾、「狭い門から入りなさい」、今朝の聖言はそれに続く第二弾です。「偽預言者たちに用心しなさい。」ちまたでヨゲンと言えば、未来のこと、まだ起きていない...
2022年3月14日
「いのちに至る門」受難節②、マタイ福音書連講[045]
聖書:マタイ7章13〜14節 この聖言もまた教会の中に限らず、一つの言い回しとして世間でも使われております。世間では大概、競争率が高くて実現しにくい状態を指しています。しかしイエスさまはそういう意味で狭い門をお見せになった訳ではありません。 1. 自覚的に選ぶ狭き門...
2022年3月5日
「神の国の黄金律」マタイ福音書連講[044]
聖 書:マタイ7章12節 多くの専門家たちは5章から7章までの山上の説教は3つの区分から成り立っていると解説します。5章の冒頭1〜12節に全体のテーマ、神さまの御心は人の幸せだということ。この説教の本文は、人がその幸いを得る生き方。それが5章13節から始まって今まで学んでき...
2022年2月28日
「御父に求める世界」マタイ連講[043]
聖 書:マタイ7:7〜11 ある意味これほどオープンなメッセージはなかなかありません。求めなさい!と招かれます。誰が招かれているのかが第一限定されていません。誰に求めるのかについても一言もありません。そして、そもそも何を求めるのか、ということも特定されていません。しかも次の...
2022年2月20日
「聖なる賜物、高価な真珠」[マタイ連講42]
聖 書:マタイ7章6節 先週の聖言同様、一見しますと誰にでも分かるような教訓であるように聞こえます。価値のあるものを、その価値が分からない人に与えても無駄だ、という戒め。確かにそこにも真理はあります。しかしここで私たちは先週と同じことを思い起こさなければなりません。イエスさ...
2022年2月14日
「梁の重さ」[マタイ連講41]
聖書:マタイ7章1〜5節 「さばいてはいけません。さばかれないためです。」 一見しますと分かりやすい御教えであるように受け取ることができるかもしれません。人を厳しい物差しで批判をすれば、同じだけ厳しい物差しであなたも批判されますよ、という道徳的な教訓。あるいは、だれしも欠点...
2022年2月6日
「神の国と神の義を求める」[マタイ連講40]
聖 書:マタイ6章31〜34節 前回は特に心配をする、あるいは心配をしないということと、神の国、神の義を求めるということとを結びながら聖言をお読みしました。今朝はもう少し丁寧に33節を噛み砕き、また34節に続くメッセージに耳を傾けましょう。...