『伝道者の書(コヘレト書)』を読んでみた...
最近こんなフライヤーが届きました。聖書協会共同訳聖書が昨年出版されましたが、その中で詩歌を担当なさった子友聡先生が金沢に来て講演をなさる!
このチャンスを逃すまいと早速申し込みました。
インマヌエルの教会では『新改2017』を公用聖書としていますから、日常で聖書協会訳聖書を用いる事はあまりないのですが、何せ聖書翻訳に直接携わりなさった先生が講演をしてくださるなら、聴きに行くしかないでしょ!
そんなわけで少し予習もしました。ちょうどその頃CLC金沢のFBに子友先生の著書『コヘレトの言葉を読もう「生きよ」と呼びかkせる書』(日本キリスト教団出版局、2019)が紹介されていました!それで早速入手して読破。
読破と言いましても、決して難解な書ではありません。むしろ読みやすい!
しかし、何より衝撃なのは子友先生の伝道者の書(コヘレト書)解釈です。こんなに前向きで、肯定的な解釈は本当にありなのか?と驚くほど。
コヘレトは決して厭世主義的な皮肉屋が斜めなりに世の中を眺めているのではなく、神が今私たちに与えられた生活を積極的に享受せよ、「飲み食いし、魂を満足させよ」
これまで「空しい」と翻訳されたことばが「空」に改められて、ネガティブなイメージが払拭されました(ちょっと新改訳に近づいたでしょ?)
ただ、ここに至るのに結構踏み込んだ
解釈を展開なさっているんです。
例えば、この書が書き記されたのは、当時(バビロン捕囚時代に舞台設定)ユダヤ人の信仰の中に盛んであった黙示思想を批判する対論だというのです。黙示思想といえば、この世界はやがて終わる!という世界観。そして神の審判が下されるとか、救世主が選民(神の民)を救ってくださる、という信仰。代表的な黙示思想として先生はダニエル書を取り上げておられます。
黙示思想は人を厭世的にしてしまう。今の世、日々の祝福や喜びを否定したり、拒絶したりする方向に向く(ダニエルの菜食主義等)。それにNOを突き付けた、という解釈。さらに言えば、黙示思想は(これもダニエルのエピソードにありますが)神のお考えは黙示をとおして悟ることができる、という考え方。だから「メネ・メネ・テケル・ウパルシン」の意味をダニエルは解いちゃうのです。それに対して、コヘレトは「神さまのお考えをそんなに簡単に悟れるわけないでしょ!」と反論している、という読み方。
『コヘレトの言葉を読もう』は一般向けの書籍なので、専門的な議論を展開するというようなものではありませんでした。でも、その辺りが気になって講演がますます楽しみになりました。それでもう一冊聖書セミナーシリーズ No.20「『コヘレトの言葉』の謎を解く」(日本聖書協会、2017)も予習してみました。
2011年になされた講演のシリーズをまとめた書、とのこと。子友先生の解釈がとても分かり易く展開されています。こちらの方にはさらに丁寧な解説が施されていますが、やはり先生の反黙示思想対論がベースに据えられています。
一面議論としては頷ける部分もあるのですが、そうなると黙示思想と関連の深いキリスト教信仰の終末論、メシア論
(つまりイエスさまが救い主であられるという信仰)とかはどうなってしまうのだろうか?イエスさまの贖いやら、執り成しやらなくても、今の世を存分楽しめる、ということになるのだろうか?気になるところです。
今日の講演は新しく出版された「聖書協会共同訳聖書」の PRが主目的とのことで、質疑応答の時間、コヘレト書の翻訳や解釈に関する質問は取り下げられてしまったのですが(まあ、当然ですよね)、その辺り本当はもっと子友先生に教えて頂きたかったです。
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