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「輝く教会、輝く年」[年頭礼拝]

聖書:イザヤ60章1〜7節


主にあって新年のご挨拶を申し上げます。今年神さまから頂いております金沢教会への標語聖句は旧約聖書イザヤ書60章1節、特に前半の聖言です。

「起きよ。輝け。まことに、あなたの光が来る。」


1. 起き上がるように招かれる主

力強い宣言のような聖言の迫りです。英語の聖書では“Rise and shine!” と翻訳されているところで、英語圏のお母さんが朝、子ども部屋に入って子どもを起こす時に使う決まり文句です。ただ聖書に親しんでいる私たちにとって、「起きよ。起きなさい。」とはイエスさまが何度も、からだの不自由な人々、病に倒れている人々、ときには息を引き取ってしまった人々に対して力強く語り掛けなさり、その通りに人々が立ち上がった、そのような場面を思い起こさせる聖言ではないでしょうか。神さまはエルサレムの町とその住人に立ち上がって光を受けるように招いておられるのです。

以前この聖言は「起きよ、光を放て」と訳されていました。光を放て、ですとどうしても私たち自身が光源であるような印象を受けますが、この預言のイメージは自ら光を放つエルサレムの町、というよりは、「あなたの上には主が輝き、主の栄光があなたの上に現れる」と告げられていますから、光源はエルサレムの町を照らす太陽になぞらえられた、神さまご自身のご栄光なのです。つまり、エルサレムの町自身がまず光を受けるのです。闇が地をおおっている、とはエルサレムの住人が毎日目にする光景で、エルサレムの町から渓谷を見下ろせば、まだ太陽の光が届いていませんから、ふもとは真っ暗です。

けれども神さまの栄光は既に朝日のように昇り、光を放っていますので、私たちがそびえ立つ神殿、城壁や町の建物のように起き上がるならば、その光は間違いなく私たちに当たるのです。今年の年頭、神さまは私たちに同じように語り掛けてくださっています。起きよ。信仰を働かせて神さまの恵みを浴びるように私たちは招かれています。


2. 目を上げるように招かれる主

さて、私たちが主の栄光を浴びる時に何が起きるのか。

「国々はあなたの光のうちを歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて進む。」

私たちが輝くときに、私たちの周りの人々が歩き出すイメージが鮮明に描かれています。歩き出すとは、決してふらふらと徘徊をするということではありません。彼らは確かな目当て、「あなたのもと」を目指して歩んでいるというのです。光に照らされて歩む人々が、前の節では漠然と「諸国の民、国々、王たち」と描かれていますが、目をあげて見渡すと、あなたに近づいて歩いてくるのはあなたの息子たち、娘たちだと描かれています。あなたの身近な人々、あなたが愛する人々、あなたにとって大切な人々が光に向かって歩いてくる。抱えられてあなたに向かってくるのです。

それに続けて、エルサレムの住人たちがさらに心を踊らせるような預言が続きます。「海の富があなたのところに移され、国々の財宝もあなたのもとに来る。」

そして「らくだの大群が、(しかも)ミディアンとエファの若いらくだが、あなたのところをおおい尽くす。」しかもそのらくだの群れは「金と乳香を携えて」やってくるのです。これは当時のものものしい行商人の隊列の様子を描いています。エルサレムの周辺の大地を覆い尽くすほどのらくだが、その背に宝物を背負って集まるのです。その上、続けて羊の大群がまたエルサレムの下に集まってくるというのです。ケダルもネバヨテも羊毛で財を成した地域としてよく知られていました。ですから、彼らを豊かにしたその羊たちが今ではエルサレムになだれ込んで来た、そんなイメージです。エルサレムの民にとってはこの上ない豊かさを約束するような預言です。この預言はそのような例えを描いて、霊的な現実を私たちに示しているのです。ひとりが福音の光に導かれて神さまの御下に立ち戻るとき、筋骨隆々としたらくだが背負うことのできる金銀財宝に勝る賜物が携えられてきている事実、ケダルやネバヨテを豊かにした羊毛に優って、私たちを豊かにする恵みと霊的祝福が伴う幻を、神の民は目を上げて見渡すように、預言は語りかけているのです。


3. 主の民、教会を招かれる主

最後に、この語り掛けが向けられている「あなた」について心を傾けましょう。もちろん今この聖言に耳を傾けている私たち一人一人が、私に向けられた聖言だ、と受け止めて然るべきです。しかし、この預言を読み進めますと、7節で神さまはさらに「わたしは、わたしの輝かしい家をさらに輝かす。」と約束しておられます。神さまが「わたしの家」とお呼びになって慈しまれるのは、主の御名によって集まる民です。この預言を神さまはこの年、私たちに金沢教会に語り掛けておられます。私たちの教会をご覧になって神さまは「わたしの輝かしい家」と慈しんでくださり、「さらに輝かす」と語りかけてくださっています。


結び

イスラエルの民、特にエルサレムの住人は、この預言を耳にして心踊る思いがしたに違いないのです。これは間違いなくエルサレムの町を描く場面だからです。この預言はまさにエルサレムの住人にとりましては、自分たちに語り掛けられたメッセージであり、自分たちに与えられた約束だと喜んだに違いないのです。今日、2022年を歩み出します私たち金沢教会に、神さまが同じ聖言を語り掛けてくださっている事実に、私たちも喜びと希望を抱かせて頂いて、新年のスタートを切らせて頂きたい、そう祈るものです。



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