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「福音を聞いて悔い改めた」マタイ福音書連講[076]

宣教聖日礼拝


聖書:マタイ福音書12章38〜45節


ここのところ、私たちはこの福音書の中でも少々緊張感の走る場面をお読みしています。特に12章に入って例の安息日に宗教家たちから、お腹を空かした弟子たちのことで咎められた辺りから、不穏な緊張感は高まるばかりです。そして、再び「そのとき」、イエスさまが言われたことに反応して宗教家たちが応えたのです。「先生、あなたからしるしを見せていただきたい。」イエスさまのお応えは厳しく響くものではないかと思うのです。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。」イエスさまは「悪い時代」だと言われてから、的を絞りなさるように「姦淫の時代」と言い換えなさいます。これは強烈なおことばです。聖書の中で姦淫が取り上げられるとき、単に夫婦や家族の関係を裏切る罪としてだけでなく、神さまのご自愛やご真実に対する人々の裏切りを指します。「わたしの民は木に伺いを立て、棒が彼らに事を告げる。これは、姦淫の霊が彼らを迷わせ、彼らが自分の神のもとを離れて、姦淫したからだ」(ホセア4.12)。これほど悲しげな神さまのお姿を聖書に見出すことはなかなか出来ません。愛や真実を裏切る忌まわしい罪、そのようなことが横行する時代です。


イエスさまが人々に福音を告げ、多くの癒しのみわざをなさっている只中で「しるしを見せていただきたい」と要求をするのは、神さまの愛と誠実さを踏みにじる忌まわしい仕打ちだと心を痛めなさるおことばなのです。それでもイエスさまは、そんな仕打ちに報復をなさるかのように「しるしなど見せるものか」とリベンジをなさってはおられません。彼らが求め、期待をしているような答えではありませんが、間違いなく「しるし」をお見せになられました。それが「預言者ヨナのしるし」です。


このとき群衆や宗教家たちにとってイエスさまとヨナに共通しているものは何かと言えば、それは「神さまから託されたメッセージ、説教」です。ちょうどヨナが神さまから語るべき厳しいメッセージが託されたように、イエスさまもまた神さまから福音を託されて遣わされたのです。人は「心に満ちていることを口が話す」ように、主イエスさまが告げなさるお言葉の一つ一つは心に満ちている神さまからの福音なのです。それで「預言者ヨナのしるし」とは何か。一つイエスさまがここでお示しになっておられることは、ヨナの説教、神さまから託されたメッセージを、ニネベの人々が聞き入れて悔い改めた奇跡です。そうすることで彼らは語られた福音に聞き従って、彼らは神さまの前にもはや罪人として滅びる未来から救われて、神の国に迎え入れられた人々となったのです。「ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。」


そしてイエスさまはいよいよ仰せになります。「しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。」どのような意味でイエスさまは預言者ヨナにまさるのでしょうか。それはメッセージそのものです。預言者ヨナに託されたメッセージはニネベの町の悪が断罪される極めて厳しい裁きのメッセージでした。そのような厳しい説教であっても、そこに本当に純粋な神さまの正義があり、福音があり、救いへの道がある。それが預言者ヨナのしるしです。ところがイエスさまの告げ知らせなさる福音は全面に神さまの慈しみと愛が溢れていて、赦しと癒し、自由と解放が実際に与えられているのです。この上なく受け入れやすく、希望を抱かせる福音が告げ知らされていたのです。その意味でヨナに、ヨナのしるしにまさるものだったのです。


イエスさまは旧約聖書からさらにもう一つの例を挙げなさいます。「南の女王とソロモン」と言えば、これもまたユダヤ人にしてみれば彼らの歴史の中で燦然と輝く栄光の場面の一つです。この上なく豊かな国家から、女王がイスラエル王国とソロモン王の噂を聞きつけて来訪したエピソードです。女王がいざイスラエルに到着し、ソロモンと実際に会ってみると、噂や彼女の想像をはるかに超えて豊かで優れていたために感服をして神さまを讃えた、というエピソードです。神さまのなさるみわざが偉大だとわかったならば、素直に神さまは素晴らしい、と讃えることが幸いなのです。預言者ヨナの説教に素直に聞き従って、救われ、祝されたニネベの人々ののように、ソロモンの知恵の前に脱帽をして、素晴らしいと讃えたシェバの女王のように、主イエスさまを通して語られる福音に耳を傾け、神さまの知恵の豊かさに感動をして受け入れることが救いといのちに結びつくのです。


今朝は宣教聖日となっていて、この聖言はまさにタイムリーだと御名を崇めました。ニネベの人々もシェバの女王も、どちらもイスラエルの民からすれば異国の民です。彼らがよく使う表現を借りるならば異邦人、異教徒なのです。そんな彼らに神さまの御心、神さまの知恵が明かされたのです。福音は今日も遠くまで運ばれていく良き知らせであり、地の果てからでも耳を傾けるために来るべき真理なのです。そして受け入れるすべての人が分け隔てなく、例外なく神さまの御前に「あなたは正しい」と神の国に招き入れられるのです。


ここでイエスさまはもう一つ、汚れた霊が人から出て行ったというお話をなさいます。「悪い時代」を説明するための例え話です。群衆が今生きているこのとき、起こり得ることに警戒をしなさい、という戒めです。この時代にあっては、部屋を掃除して片付けるだけでは不十分で、良いもので満たして初めて祝福されるのです。家は空のままでこの上なく無防備なのです。福音を受け入れるように。イエスさまを心に迎え入れるように、神さまを空いた心の家にお迎えするようにイエスさまは群衆を招かれ、今朝も私たちを招いておられます。



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