「祈りについて (2):天の父に祈る」[マタイ連講029]
聖書:マタイ6章9〜15節
今朝お読みしました場面で、いよいよイエスさまは私たちがどのように祈るのか、祈りのことばを授けてくださいました。祈りのことばと言いましても、いわゆる呪文のように唱える文言を授けなさった、というよりはこういう想い願いを抱いて祈りに向かうように、招かれていると受け止めることがよろしいでしょう。
この一連のお祈りには6つか7つの項目が綴られている、と数えることが一般的なようです。
(1)呼び掛け:「天にいます私たちの父よ」
(2)御名が聖なるものとされますように(翻訳が第3版から変更)
(3)御国が来ますように
(4)御心が天で行われるように、地でも行われますように
(5)私たちの日ごとの糧を、今日も与えてください
(6)私たちの負い目をお赦しください
(7)私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください
今朝は最初の項目、呼び掛けの聖言に心を傾けたいと思います。この呼び掛けに含まれていますのはたった3つのフレーズです。「天にいます」「私たちの」「父よ」。もともとのギリシア語ですと「父よ」「私たちの」「天にいます」の順番になります。今朝は「私たちの」というおことばを軸に聖言に耳を傾けるように導かれています。
山上の説教は実に様々な立場の人々に向けて語られた聖言だということは繰り返し確認して参りました。イエスさまはすべてご自身につき従う人々を見渡しながら語っておられるのです。イエスさまの方で、耳を傾ける人々を取捨選択はなさっていません。群衆に対して分け隔てなく「私たちの父よ」と祈るように招かれたのです。だれでも、神さまを「父よ」と呼ぶ人々は「私たち」の中に招き入れられるのです。この豊かさを理解するのは決して簡単なことではないようです。弟子たちが苦戦している様子を福音書は何度か描いています。イエスさまは「私に反対しない人は、私たちの味方です」とまで言われました。
さて、さらに大切なこととしてこの「私たち」の中に他でもないイエスさまご自身が含まれていることを私たちは見落としてはなりません。神さまを御父と仰ぐ私たちは、同じ父親を仰いでいるのですから、必然的にお互いが兄弟姉妹になりますが、誰よりも神さまのことをアバ父よ、と言って慕っておられるのは他でもないイエスさまだということを思い起こしましょう。新約時代の生徒たちもイエスさまのことを「長子」と理解していました。ですから、このお祈りは、師匠がその弟子に伝授する奥義のことば、というよりかは優しいお兄さんが、弟や妹たちに、こうやったらお父さんは話を聞いてくれるよ、と知恵を授ける場面と重なるかもしれません。イエスさまは私たちの長男として、天の父に祈るときはこうしたらよい、と教えてくださるときの私たちへの慈しみの豊かさを想像することができるでしょう。「私たちの父よ」と祈るとき、その「私たち」の先頭に長子であられるイエスさまが祈っておられるのです。
もちろんイエスさまに教えられて「私たち」と祈るときに、祈り手は自分が孤独でないことを思い起こします。確かに私たちはときこそ本当に思い悩んでいるときは、孤独に打ちひしがれて祈るものです。そのときに「私たちの父よ」とお呼びするのです。そして私たちは、これは私たちの祈りだ、教会の祈りだ。兄弟姉妹たちと心を合わせる祈りだと思い起こし、共に同じ天の父を仰ぐことが許される兄弟姉妹たちに囲まれていることを思い起こすのです。
私たちの父なる神さまが天におられる、ということについてもすでにいくつかのことを学びました。私たちは天の御国に期待を寄せていることを学びました。それは言い換えると最後の審判で神さまがいよいよ正義を示してくださることへの希望です。そして私たちは祈るとき、天を仰ぐのです。確かに天に向けて祈るとき、まるで私たちの祈りの言葉が空の雲の彼方に吸い上げられていき、いったいどこへ言ってしまったのだろうと不安になるかもしれません。けれどもそのときに、イエスさまのお言葉を思い起こすのです。天におられる父に間違いなく届いた。私たちの祈りは自分自身に話し掛ける一人芝居ではないのです。確実に空高く、外に天に投げ上げられることばなのです。イエスさまは私たちに祈りを教えてくださいました。その第一声は天に向けられた親しみと信頼の込められた呼びかけでした。
天におられる私たちの父への呼び掛けです。今朝は久しぶりに文字通り声を合わせて「私たちの父」に祈りを献げる恵みに預かりました。新しい一週に足を踏み入れます。またそれぞれの持ち場立場に戻ります。コロナ禍の宣言下で、ここに集まれない事態がまた起こるかもしれません。パソコンや携帯の画面越しでは心細く感じるかもしれません。窓のない部屋に閉じこもるほど真っ暗ではないにしても、信仰者の孤独を味わうかもしれません。イエスさまが教えてくださった祈りを思い起こしましょう。私たちの祈りを思い起こしましょう。教会の兄弟姉妹とともに献げる祈り、長子であられるイエスさまが先陣をきっって捧げてくださっている祈りを思い起こし、確信を与えられようではありませんか。励ましを頂こうではありませんか。
👈 久しぶりに会堂で礼拝を御献げすることが許され
ました。講壇をコスモスが飾りました。
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