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「旅の道中で神と出会う」創世記連講[68]

聖書 創世記45章28〜46章7節、26〜29節(46章全体)

いよいよヤコブはカナンの地を離れてエジプトに下ることになります。ここで彼が再び「イスラエル」と呼ばれていることは決して偶然ではありません。彼個人としては神さまと格闘して祝福を得た経験を想起させる名前です。また将来を展望すれば、一つの国民となるという神さまの約束が成就することを見据えた名前です。ヨセフの生存と活躍を知らされ、ヤコブはすぐに旅を始めます。

しかし彼はすぐにひと休みを入れます。今朝は特にヤコブ一族がベエル・シェバに立ち寄ったときの出来事を軸にして聖言からの語り掛けを頂きたい、そう導かれています。ベエル・シェバで神さまに出会うヤコブ、ベエル・シェバの神さまに出会うヤコブ、ベエル・シェバの神さまとともに行くヤコブ、今朝のお話はそう整理することができると思います。

1 ベエル・シェバで神に出会う

ベエル・シェバはイスラエルの歴史の中で何度も登場する大切なところです。イスラエルの領地の全体を表す言い回しで「ベエル・シェバからダン/ダンからベエル・シェバまで」というフレーズが繰り返し出てきます。ダンが領地の最北端、ベエル・シェバが最南端という感覚です。ただ、ベエル・シェバは地理的な目印というだけの場所ではありません。

サラに奇跡的にイサクが誕生した後、神さまはアブラハムとサラを助けてくださって、隣国のアビメレク王とここで講和条約を結ぶことになり、そのときにアブラハムは記念樹を植えて「永遠の神、主の御名を呼び求めた」と記録されています。その時以来ベエル・シェバは神さまの変わらない祝福と御守りを象徴する場所となりました。イサクの時代にも、レホボテの直後イサクもやはりベエル・シェバに上り、そこで神さまが現れてくださり、

「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。」

と約束してくださったのです(26:24)。そこはヤコブ自身も若い頃を過ごした場所、兄エサウから逃げるように実家を出るとき、創世記はヤコブがベエル・シェバを出てハランを目指したと書いています。その直後ヤコブは夜夢の中で、神さまは彼に、「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。」と仰せになられました(28:13〜15)。ベテルでの経験です。こういった神経験と絶えず結びついていたのがベエル・シェバでした。

ヤコブは再び、カナンの地を離れてエジプトに下ろうとするときに、そのベエル・シェバに立ち寄ったのです。そしてそこで神さまを礼拝したのです。そこは単に旅の通過地点ではありませんでした。ベエル・シェバでヤコブも、イサクも、そしてアブラハムも神経験を重ねてきた場所なのです。

神さまと出会う場所に身を置く信仰の営みは、私たちにとりましても尊い恩寵の手段です。私たちは務めて礼拝や伝道会、祈祷会に集いますのもそのような意味合いが含まれています。個人的に祈る時、聖言に触れるときを聖別するのもそうです。そこで神さまに出会うのです。今年はコロナ禍でこのような機会が制限されましたが、兄弟姉妹たちがこのような状況で今年はなお一層、恵みを求め、聖言を求めて恵みを受ける場所に身を置こうと取り組まれているお姿を拝見して御名を崇めております。

2ベエル・シェバの神に出会う

ベエル・シェバの神さまは彼の名前を呼んで神さまは現れてくださった。聖書の中に名前を2回呼ばれた人が8人いると言われています。アブラハム、ヤコブ、モーセ、それにサムエル新約聖書にも四人。一人は人というのは正確ではありません。イエスさまが十字架の上で「わが神、わが神」とお呼びになりました。そのイエスさまが地上生涯の中で裏切るペテロに「シモン、シモン」と優しく呼びかけなさいました。同じイエスさまがある村でマリアという女性のお姉さんにも「マルタ、マルタ」と呼び掛けなさった。もう一人は教会を迫害するために躍起になるユダヤ人教師に「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」と呼び掛けなさいました。ベエル・シェバの神さまはヤコブに近く寄り添われ、名前を二度お呼びになって、この上なく親しく、そしてヤコブにとってこの上なく大切なおことばを語り掛けなさるのです。

この一年を振り返りながら、お互いに神さまが私たちを、名前を呼んで祝福してくださったことを思い返すときを持ちたいと思うのです。私たちは忙しく生業や学びに、勤めや生活に走り回ってここまで辿り着いてきました。それだけに私たちは一年の節目のとき、意識をして神さまと出会う場所に身を置いて、私たちの名前をお呼びになって語りかけてくださるお方と向き合おうではありませんか。

3ベエル・シェバの神と共に

そして今朝の第3の要点、出会ったその神さまとともに旅を続けるのです。ヤコブと彼の一族はこれからも羊飼いとして、牧畜を生業として生活を続けます。でもそれは神さまがともにおられることを確信しての日常です。ベエル・シェバで出会った神さまがともにおられる、ベエル・シェバで明かされた神さまが今もここにおられて、祝福を注いでおられる。そのように確信をして、教会の暦の節目を迎えたいと思います。

次週からいよいよ今年のクリスマス節期に入ります。今年のアドベントの恵みを期待致しましょう。しばらく創世記の学びはお休みになりますが、クリスマスの語り掛けを豊かに受けたいと思います。




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