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「教会が仲間を迎える」ペンテコステ礼拝

聖書:使徒9章26〜31節


ペンテコステはユダヤ教の3大祭りの一つで、過越の祭りから数えて50日目に催される「七週の祭り」という盛大なお祭りのことです。ヘブル語ではシャヴオートと呼ばれているものをギリシア風に言い直したものです。出エジプトを果たしてから50日目、シナイ山に辿り着いたイスラエルの民に神さまが現れてくださったことを記念する大切なお祭りです。それで神殿のあるエルサレムには毎年、パレスチナ地域だけでなく、周辺の様々な地域からユダヤ人がエルサレムに集まってこのお祭りに参列をしていました。

使徒の働き冒頭に記録されているペンテコステが特別だったのは、その50日前に同じエルサレムの町の郊外で起きたナザレのイエスの十字架刑が影を落としていたからです。人民は言うまでもなく宗教指導者たちやローマ当局までもが困惑している異様な空気。40日後に主イエスは弟子たちの目の前で天に昇られてさらに10日後、ちょうどペンテコステを祝うエルサレムの町中、ものすごい騒音が響き渡り、「炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった」というのが聖書の記録です。


約束された通りに力付けられた弟子たちは福音を宣べ伝え、その結果何千人もの人が回心をして、教会が誕生します。全ては順調に進んでいるかのように見えましたが、早速熱心なユダヤ教の反対や圧力に苦しみます。しかし、迫害によって教会は却ってパレスチナ全体に広がり始めたのです。それでエルサレムを逃れた兄弟姉妹たちの一部がダマスコという街まで逃れて、そこでようやく落ち着いたというのです。ところが一人サウロという青年が彼らを見逃さず、彼らも捕えてエルサレムまで連行しようと名乗りを上げたのです。しかし、ダマスコに辿り着く直前にイエスさまが天からサウロに声をお掛けになり、その結果サウロはダマスコに着いたとき、洗礼を受けてクリスチャンになります。このことはユダヤ人の反感を買い、とうとう「ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした」、という物騒な場面から今朝は読み始めました。

サウロを殺害する計画はしかし教会の耳に入り、彼はカゴに乗せられて夜な夜な町から脱出します。ところが彼は、安全な場所を求めて逃げ隠れしたのではなく、あろうことかエルサレムに赴くのです。彼は決してユダヤ教に戦いを挑むためではなく、エルサレムで弟子たちの仲間に、主の教会に加わろうと望んだのです。ところが教会の方は「みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。」主にある兄弟姉妹たちの信仰は言うまでもなく、生命を守ることは当然のことと言えるでしょう。エルサレム教会の警戒心が著しく高い様子を容易に読み取ることができます。それは彼らが臆病であったからとか、まして信仰が不足していたからとかではありません。そのことを私たちが正しく理解するためにもそれまでのサウロの履歴が詳細に記録されているのです。そしてここでそのサウロをどのように教会が迎えたのかについて記録が残されています。


第一に、エルサレム教会は根深い疑いと恐れを越えなければなりませんでした。主イエスさまを信じる信仰を証詞するだけで、町の中で阻害され、虐げられ、ときには脅かされる危険に晒されている彼らは、その危険をもたらしていた代表的な人物の一人を教会の中に招き入れるのか、迫られているのです。彼らがサウロを迎え入れて、教会を自由に出入りし、共に主を伝えるようになるのに、教会は相当の疑いと恐れを乗り越えたのです。教会の拡大は、大きな流れのように描かれていますが、その一コマ一コマの中に疑いや不安、恐れや葛藤を越えて進む教会の姿があるのです。


第二にこの場にバルナバという一人の聖徒が教会とサウロとを結びつける架け橋の役割を担った様子が描かれています。バルナバの記事を通して神さまは私たちに問い掛けなさるのです。私たちは今、だれのためにバルナバとなるだろうか、と。かつてイエスさまは「良きサマリア人」の喩え話を語られて、あなたがその人のところに駆け寄って隣人となるように促されたことを、聖霊なは思い起こさせなさいます。あなたが架け橋となって教会に迎えられる人はだれだろう、と私たちに御霊は今も迫っておられ、「こうして教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地に」そしてさらに国境を越え、海や山を越え、時代を越えて今でも築き上げられているのです。

第三に、エルサレム教会が仲間に迎えたサウロは早速いのちを狙われて、長く交わりを深める機会も与えられずに、カイサリアの港から船で出身地タルソに送り出されます。このことを通して福音が選民イスラエルの大きな壁を越えて全ての人に伝わる準備を果たす段取りとなります。サウロはまさに「こうして教会が築き上げられていった」一役を担う器として用いられることになるのです。使徒の働きの前半は主の弟子たちが用いられる様子が描かれていますが、後半はもっぱらパウロと名前を変えたこのサウロがいのちを注ぎ出して、小アジア地域一帯に、エーゲ海を渡ってマケドニア、さらにアカイア地域に、やがてイタリア・ローマを視野に、さらにはスペインを幻に見据えながら教会の拡大の最先端に切り込んで生涯を全うすることになります。


そしてこの全ての原動力となって教会を、聖徒たちを励ましておられるのが聖霊です。私たちは今朝、この延長線上に立たせて頂いているのです。2000年前の教会が様々な疑いや恐れを越えて人々を迎え入れたように、私たちもまた一人でも多くの方々をお迎えし、その中でお互いが金沢教会のバルナバとなり、また先に加えられたお互いが神さまから託された賜物と務めを担って、その全てが聖霊の励ましによって押し出され、私たちの教会もまた、平安を得て、前進を続けさせ頂きましょう。




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