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「悔い改めへの招き」マタイ連講[008]

聖書:マタイ4章12〜17節


12節は新しい段落の始まりになりますが、主イエスさまのご生涯にとりましても一つの大きな区切りとなっています。ガリラヤに「退かれた」という表現も大切なところです。主イエスさまは悪魔からの直接の誘惑に勝利されて、まるでパワーアップをなさってこれからのご奉仕に備えられた、という印象からは程遠いのです。洗礼ヨハネが捕らえられた知らせを受けてガリラヤに退かれたのです。私たちの信仰の在り方についてとても大切な側面をお示しになられたのです。確かに私たちは間違いなく如何なる誘惑をも回避することができますが、それは決して私たちに特殊な能力が備わっているからではなく、ましてそれが私たちの生きる目的でもなく、したがって不必要なときにはそこを逃れ、その場から退き、離れることが許され、むしろ避ける道を主イエスさまご自身が御取りになったことを思い起こしたいと思うのです。主イエスはヨハネの逮捕を知らされ、ガリラヤに退かれ、ナザレを離れなさった。

しかしこれは決して単なる逃避であるとか、臆病の現れではなく、ナザレを離れなさったということが、取りも直さず「ゼブルンのナフタリの地方にある」カペナウムへの移住が目的であり、何よりもその移住が「預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった」ことが説き明かされています。マタイはこの辺りを丁寧になぞっています。主イエスは絶えず神さまの御心とご計画にしたがって来られたのです。

イザヤ書9章の引用は、主イエスさまが着実に神さまの御心を捕らえておられたことを裏付けます。ゼブルンとナフタリの地名に続いて「海沿いの道、ヨルダンの川向こう、それから異邦人のガリラヤ」と呼び掛けられています。どれもイスラエルの民にしてみれば辺境地域、神の約束には含まれていない、と考えられる地域。しかしその全てに預言は呼び掛けられているのです。そして主イエスさまがそのガリラヤに、カペナウムに住まわれたこと自体力強いメッセージになります。主イエスは綴りさえ確定していないような小さな、知名度の低い村に住まわれ、今度は異邦人のガリラヤと揶揄されるようなカペナウムの町に住まわれたのです。これは福音そのものの、神さまが人類に賜わる救いの本質なのです。名も知られていない村に呼び掛け、イスラエルの壮大な歴史の中では取るに足らない小さな町に呼び掛け、あなたはわたしにとって世界の中心であり、あなたのうちからわたしの救いを始める、と神さまは呼び掛けておられるのです。

イエスさまが来て住まわれるとは、イザヤの預言によれば「闇の中に住む民が大きな光を見る」経験に例えることができます。何故彼らのことを闇の中に住むとか、死の陰の地に住んでいる、と言うのでしょうか。ゼブルンもナフタリも北方に構える帝国が南に勢力を伸ばそうと攻めて来るとき、最初にその攻撃に晒される地域なのです。その度に彼らの町々は応援もなく破壊され、痛い目に遭うのはエルサレムから遠く北に離れた町々でした。私たちは重んじられていない。守られていない。愛されてもいない。そんな彼らが大きな光を見る、彼らの上に光が昇るのです。

主イエスさまが宣教を始めなさって最初に告げられた福音は、

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

いよいよイエスさまは世界に対して第一声を発せられます。それがこの聖言です。この聖言はバプテスマのヨハネが告げたものと一字一句同じものです。つまり全く同じメッセージと同じ神さまの御思いが込められているということです。悔いた信仰にふさわしい実を結びなさい。光を見て、光に照らされた者にふさわしい生き方への招きなのです。

さて、人は問い返すかもしれません。これまで実を結ぶことができなかった私が、これまで不毛な人生を歩んできた人が、どうしてこれから結実のある人生を歩むことができるようになるのか、と。自分の力では、自分が置かれている現実の中ではとても結実は実現しないと痛感させられてきたのです。

それでイエスさまは続けて「天の御国が近づいたから。」と告げられたのです。国と聞いて聴衆が想像するのは王国です。イスラエルの民はずっと王さまが国を治める体制を貫いてきましたし、この福音書もその王さまの名前がいくつも登場する系図から始まります。それですから「天の御国」と言われて真っ先に彼らが考えるのは「王様はだれ?」ということです。何故ならば彼らはよく知っているのです。王さまが善王か悪王かで、その国が栄えるか滅びるかが決まるのです。「天の御国が近づいた」とは、神さまご自身がその国家の王さまだという宣言なのです。天地をお造りになり、その世界を慈しみ保ってこられた神さま。人をこよなく愛し、その祝福だけを望んでおられる全能の神さまが治めなさる世界が近づいた、というメッセージです。

これまで実を結べなかった私がどうして今更結実を、と問い返す私たちにイエスさまは「天の御国が近づいたから」と即答されるのです。あなたの王である神さまが、あなたを治め、あなたの歩みを顧みてくださり、実を結ぶことができるように日々助け導いてくださる。闇の中に住む人々に、死の陰の地だと避けられる地域に、大きな光が目に入り、彼らの上にその光が昇る。

主イエスさまは今朝も私たちのところに来て住んでくださる。実を結ぶ人生へと導かれる。私たちの王となり、私たちの歩みを治め、力を与え、知恵を与えてくださる。どうかこの一週の歩みがおひとりびとりにとりましてそのような意味で光に照らされたあゆみとなりますように。祝福をお祈り致します。


※本日から再びネット配信のみの礼拝となっております。

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