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「出発する信仰」2023年元旦年頭礼拝

聖 書:申命記1章1〜8節


高いところからではありますが、主にあって新年のご挨拶を申し上げます。

新しい年を迎えることが許されました。この年も聖言を頂いて歩み出しましょう。お互い個人的にも年末年始、聖言と向き合うときを得て、聖言のお約束や御励ましなどを頂く営みをなさるようにお勧めしています。教会としてこの年頂きました聖言は申命記冒頭の聖言です。自らの最期を察してモーセはヨルダン川の東に到達した際に、引き連れたイスラエルの民を皆招集して、メッセージを語ります。彼らがなすべきこととはたった一つ、川を渡るだけのことかもしれません。しかし、これが単なる旅の一場面ではないということを人々はよく感じていました。だれよりもモーセ自身が、この川を渡るということに込められる意味の深さ、とりわけ神さまが導かれた旅であったことを考えたときに、この川渡りに込められている意味合いを民の皆が弁えておくことの重要性を痛切に覚えて、彼は神さまに導かれるまま、口を開いたのです。彼のメッセージは6節から始まります。これまでの40年を振り返り、現状をしっかりと見つめ、そしてこれから先を見据えるメッセージです。

2020年に70周年を記念し、同時にコロナの状況が始まり、計画や希望通りに物事が進まなくなる中、神さまは静かに、しかし確実に私たちの教会を一つ大きく前に押し出そうとなさっているように思えてなりません。それが申命記で言えば「ヨルダン川を渡る」前の空気と重なります。昨年は、起きよ、輝け、と励まされました。この年は出発せよ、とさらに押し出して頂いています。この一年を通して私たちは神さまが「出発せよ」と命じられた意味を、折あるごとに振り返りながら、吟味しながら、教会の歩みを進めていくように問われています。今日はその思い巡らしの始まりです。


1. 十分長く止まった

「出発せよ」と押し出される神さまはその前に「あなたがたはこの山に十分長くとどまった」と言われます。これは実は40年前のことを思い起こさせているのです。神はシナイ山の麓でしばらく止まるように命じなさり、モーセには山に登るよう招かれます。そこで時間を掛けて十戒が与えられ、これからの民の生き方について、神さまの語り掛けが与えられます。「モーセの律法」を授かるためのホレブの滞在でした。ですから、「十分長くとどまった」とはゆっくり休憩を取ったということではなく、彼らが旅を続け、目的地にたどり着くために必要な備えを十分にした、というおことばなのです。神さまがご自身の群れに「出発せよ」と号令をお掛けになられるとき、わたしたちは神さまが十分に備えてくださった、と確信して立ち上がることが肝心です。怠ける


2. 向きを変えて

それから神さまが「向きを変えて」と言われたことをモーセは割愛せずに思い起こさせます。もちろん旅の道程を進むに当たって、正しい方向に進むことは必要不可欠です。向きを間違えれば、当然目的地には着きません。ですから必要に応じて向きを変えることは当然求められます。向きを変えるにはそれなりの覚悟が要ります。これまで馴染んできたことを手放す心細さや、馴染みのないことに触れていく違和感も含めての覚悟が要ります。それらの変化を、神さまが出発せよと言われたのだから大丈夫だと頷いて踏み出すことを私たちは「信仰」と呼んで大事にして参りました。私たちの信仰生活にも、同じような局面がなんども訪れます。信仰生活の始まりが、そもそも「向きを変えて」の出発でした。これまでの罪深い生き方を変えて、悔い改め、神さまを心の中にお迎えして、神さまの御心の道を歩み始める出発が私たちの救いでした。それ以来私たちは神さまに導かれて向きを定め、共に歩む日々を続けているのです。


3. 行って所有せよとの迫り

それから「出発せよ」という命令に続いて「行って、所有せよ」と神さまは語られました。この旅には目的地があり、辿り着く目当てがあることを示しています。彼らは「乳と蜜の流れる地」だと何度も希望を抱いて旅を続けました。今日の私たちの教会に対して「行って所有せよ」とは必ずしも文字通りどこかの土地を取得しなさい、という意味ではないかもしれません。私たちにとってそれは、一人でも多くの方々をイエスさまの救いへとお招きし、私たちの群れにお迎えすることではないでしょうか。主イエスさまの救いとその恵みの豊かさの中へ今年も一人でも多くの方々をお迎えするように、主は私たちにも「出発せよ。行ってその地を所有せよ」と押し出してくださっているのです。


4. 誓いの想起

そして4点目、それは8節の締め括りで思い出させていることです。「これは主があなたがたの父祖アブラハム…に与えると誓った地である。」シナイ山のふもとから向きを変えて目指した地は、イスラエルの民がエジプトから脱出する遥か以前から神さまが誓われた地だ、ということをモーセはここで思い出させています。これはとりもなおさず、神さまが最初から初志貫徹して彼らのために御心とされてきたことだから、確実に実現するという保証なのです。心配しないで出発しなさい、という神さまの側からの最大限の御励ましなのです。

神さまは誓いを果たされる真実なお方です。そのことをイスラエルの民は40年の旅の中で幾度となく経験してきたのです。私たちの教会、また私たちお互いの信仰の歩みにも同じように、神さまが真実な方であることを明かす出来事をいくつも見出すことができるでしょう。私たちにはそれにもまして、神さまの御真実を説き明かす聖書が与えられています。聖書の聖言は私たちへの誓いに満ち溢れています。

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