「キリストのことばを豊かに」[年頭礼拝]
聖書:コロサイ3章12〜17節
2021年金沢教会の歩みのために年頭に頂きました聖言はコロサイ3章16節の特に前半部分です。
「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。」
この聖言を握って立ち上がるにあたって、いくつかのことに注目を致しまして、私たちに与えられた標語聖句の意味するところを少しでも深く知らせて頂いて、この年の歩みに備えさせて頂きたいと導かれています。3つのことを確認するように導かれています。第一にキリストのことばを豊かに住まわせなさいと招かれているのはコロサイの教会であること、この招きはそもそも教会に向けられたものだということ、第二に「キリストのことば」とは何のことか、想いを巡らせるように導かれています。そして第三に「住まわせる」「住むようにする」という聖言に込められているパウロのイメージ、神さまの御心を探ってみようと導かれています。
1教会が招かれている事実
9〜10節を読み返しますとコロサイの聖徒たちに「あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着た」と使徒パウロは思い起こさせます。様々な立場や背景から集まったあなたがたが「教会」だということを改めて思い起こさせる聖言です。そこに来て12節から前向きな、建て上げるようなお勧めが始まります。「あなたがた神に選ばれた者、聖なる者(選り分けられた者)、そして愛されている者」。これはコロサイの教会を描いている聖言です。教会の中でお互いの交わりがどのような特色を帯びたものであるのかを丁寧に描いています。その全てを包むように「これらすべての上に、愛を着けなさい」と(14)。
そこから15節「キリストの平和があなたがたの心を支配するように」と促します。教会の中でイエスさまが軸となる平和がお互いを治める世界が実現して証詞となる、とコロサイの教会の姿を描いています。キリストの平和があなたがたの心を支配するようにと言っているとき、パウロは教会の心をイメージして書き送っているのです。教会に連なる兄弟姉妹たちの心と直結していることは確かですが、その一人一人が集まって信仰共同体を建て上げるときに、まるで教会にも心があるかのようにパウロはコロサイ教会を思い描きながらお勧めをしているのです。教会は「キリストのからだ」「キリストの花嫁」と例えられるような生きた存在なのです。そのような自覚を抱いてお互いが慈しみ合い、励まし合い、お互いを自分より優れたものと考え、赦し合いなさいと励まされているのです。
それで今朝の聖言に辿り着きます。16節。キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。毎年、年頭に私たちは神さまから個人的に聖言を頂いて歩み出します。尊い信仰の営みです。ただ、パウロはここでもう一歩踏み込んだことを勧めています。教会のうちにキリストのことばが豊かに宿っている、そのような証詞を立てるように、というメッセージなのです。金沢教会にはキリストのことばが豊かに宿っている。キリストのことばを耳にすることができる。キリストのことばを生きる聖徒たちに出会うことができるような教会として成長が許されたならば素晴らしい証詞となるでしょう。
2キリストのことばとは
それで改めて「キリストのことば」とは何か。ナザレのイエスさまが生前、またよみがえられてから人々に実際に仰せになられた聖言の数々を豊かに住まわせる。もちろんこのようなイエスさまの実際に仰せられた聖言を記憶し、絶えず意識することは尊いことですし、必要不可欠なことであることは間違いありません。イエスさま語録という範疇には入らずとも、御霊に促されてそれぞれの記者が書き記した聖言は「キリストのことば」としが言い表しようのない、イエスさまの御思い、御心を聖霊によって示されて手紙を書き送り、メッセージを告げ知らせ、様々と聖徒たちを戒め、勧告をしたのです。コロサイの教会でもパウロは、講壇から語られることば、お互いの間に交わされる思いが、キリストのことば、主イエスの御旨と重なる、そのような世界を私たちに描いているのです。
3聖言が住む、というイメージ
あなたがたのうちに、つまり教会のうちにことばが豊かに住む、とはどういう状況なのでしょう。これは決してキリストの言語録を本にまとめて教会で保管したり掲示したり、という意味ではなさそうです。人が家に住むように、そしてお互いに人間関係を築きながら、深めながら生活を共にするように、「キリストのことば」と生きた結びつきを深めるように、しかもその結びつきが豊かに膨れ上がっていくように、というメッセージなのです。
今年お互いキリストのことばをよく聖書を読み、分かち合う年と致しましょう。「知恵を尽くして互いに教え」「互いに忠告し合うように」「声と言葉と心を合わせて賛美を捧げるように」そして、キリストのことばを豊かに住まわせたものに相応しく、「何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行う」そのような教会であらせて頂きましょう。
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