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「タマル、なつめ椰子の実のように」[創世記連講56]

聖 書 創世記38章1〜14、24〜30節

37章からヨセフ物語が本格的に始まりますが、創世記の記者はその前に今ひとつ伝えなければならないエピソードがある、と導かれてヤコブの息子の一人ユダとタマルの物語をここに記録します。

ヨセフの事件があってから時間はしばらく経ち、ヨセフの兄ユダは独立をして所帯を持ちます。授かった息子たちは長男エル「見張る」、次男オナン「力強い」、そして三男がシェラ「願い事」です。ただ、ユダの妻の名前が紹介されないのが気掛かりです。それなのに6節に進んでユダの長男エルが妻を迎えるところで、その新婦さんの名前が丁寧に紹介されます。「名前はタマルと言った」。それでタマルという名前の意味は「なつめ椰子」なのです。その心は「たくさん実を結ばせる」。それで女の子の名前としてよくつけられたようです。つまり、神さまはユダの血筋にも祝福を及ばせ、「多くの実を結ぶ」という名前の女性をその家系に迎え入れることをお許しになられた、ということなのです。

ところが残念なことに長男エルは「主の目に悪しき者であった」と言うのです。それで主は彼を殺された。当時の慣習によって次男のオナンとタマルを引き合わせますが、彼は敢えて子どもが授からないようにタマルとの間に壁を設けます。このことについて聖言は「主の前に悪しきこと」だったと厳しく非難します。神さまは二人の間に必要な手筈を整えて下さって、二人とユダの一族に祝福と幸が満ちるように備えなさって、オナンとタマルが結ばれることを善しとされたのにオナンはタマルとの新たな出発を拒んだ、ということです。「主の前位に悪しきこと」の意味するところです。オナンの死について兄のときと同様「主は彼も殺された」と記します。これは私たちが想像力を膨らませて興味本位で試飲を邪推せずとも善し。話の本題に集中しましょう、というフラグだと思って読み進めることが助けになります。シェラについてはユダが介入をしました。長男と次男を立て続けに失ったためユダは残された唯一の息子のいのちを惜しんだのです。それでタマルは自宅待機になるのです。「タマルは父の家に行き、そこで暮らした」。待機なのですから彼女は勝手に他の人と結婚できないのです。そういう事情まで確認をして、物語は先を急ぎます。

かなり日が経って今度はユダの妻が他界します。それでユダとその一族は喪に伏すのですが、喪が明けるとユダはさっさと日常の営みに戻ってしまったのです。本来ならば羊の毛を刈る作業に入る前に、タマルとシェラの婚姻の約束を果たさないといけないのに、タマルはユダの振る舞いを見てシェラと結ばれて神さまの祝福の中に加えて頂く道は閉ざされたと悟ったのです。

それでここからが21世紀の私たちには中々理解できない展開なのですが、タマルはシェラとの間で多くの実を結ぶことができないのならば、妻を亡くしたユダとの間でその約束が果たされることを望むのです。それで彼女は変装をしてユダに近づき、ユダは彼女に目を留め、タマルだとは想像もせずに彼女と関係を持とうと交渉をします。床を共にする報酬を保証するためにユダは印章と杖―どちらもユダを特定する代物ですが―を女性に預けます。奇しくもそれらはタマルにとってはもっと重大な証拠、彼女が宿す子どもの父親を特定する代物となったのです。彼女にとって、天地を造られた生ける真の神が選び出して祝福された一族に、自分が結びついたことを証詞する代物でした。

斯くしてタマルは非常な手段ではありましたが、神さまの祝福をもぎ取るようにして手にしました。ヤコブがエサウの手から長子の権利と祝福をもぎ取ったときを想起させる場面です。「こうしてタマルはユダのために子を宿した。」3ヶ月後、ユダは三男シェラの許嫁であるはずのタマルが、実家に戻っている間に子どもを設けたとの知らせを受け、彼女を「引き出して焼き殺せ」と言い放って怒りを露わにします。

そこでタマルはかつて預かっていた印章と杖を差し出して、子どもの父親がユダであることを明かします。これで全てが白日に晒されます。そしてタマルはユダ一族の子孫繁栄の一翼を担う重要な女性として名前を残したのです。タマルはその名のとおりにやがて臨月を迎え、出産をしますと双子が誕生します。早くも「生めよ、増えよ、地に満ちよ」のお約束は始まりました。しかも双子誕生の様子を見ますと、エサウとヤコブを彷彿させるような逸話と印象を残しながら誕生が祝福されます。エル、オナン、シェラに代わってユダの系図には、大いに実を結ぶ「タマル」によってペレツとゼラフが名前を残します。

タマル、ペレツやゼラフの名前はその後聖書の中に何回か意外なところで思い起こされます。一つは旧約聖書のルツ記です。ルツがボアズに嫁ぐ際にその結婚を町の長老たちがこのように祝福します。

「どうか、主がこの娘(ルツ)を通してあなたに授ける子孫によって、タマルがユダに産んだペレツの家のように、あなたの家がなりますように。」ユダとタマルの一件があってから数百年後、ボアズやルツの時代でもタマルとその息子ペレツの家は、長老たちの語り草となるほど、見上げられる存在であり続けたのです。ルツもまたタマルと同様、摂理によって神の恵みの世界に加えられたことを尊びそこに留まる信仰を働かせ、神はそれに報いられました。彼らがダビデの系図、そして救い主イエスの系図に名を連ねていることは尊い証詞です。しかしこれは系図に記録されて終わる昔話ではありません。

私たちも皆、不思議なお導きや、摂理のつながりで、神さまの恵みの世界、救いの中に導き入れられたお互いです。その恵みをお互いに尊び、何としてもその中に止まる信仰を与えられて、前進を続けようではありませんか。

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