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「神は償い、霊を注ぎ」

聖 書:ヨエル2:21〜32

ヨエル書は日頃あまり注目されない預言書かもしれませんが、ペンテコステの

時期になりますと朗読されたり、メッセージで開かれたりします。2000 年前の

ペンテコステの朝、ペテロを中心に使徒たちが開口一番に引用したのがヨエル

書2章の聖言でした。ヨエル書の預言は教会誕生を指差す神さまの約束だった

と言えます。

神さまがヨエルを召して預言を語らせなさったのは、主の民が凄まじい

いなごの大量発生被害に見舞われたからです。人々は生活を脅かされ、産業は

崩壊し、彼らの信仰生活も大きな影響を受けました。「穀物と注ぎのささげ物は

絶たれ、主に仕える祭司たちは喪に服す」とあって民の礼拝の場が荒れすさん

でいる状況が生々しく描かれています。その只中で神は語られました。ヨエル

はその聖言を取り次いだのです。神はあらゆるときにも、私たちの祝福のため

に語られる方です。日々の歩みの中でその御声に耳を傾ける営みを重ねるのは

実に尊いことです。いなごの甚大な自然災害の只中でヨエルは神さまの御声を

聞き取り、それを民に伝えたのです。そのときに語られた聖言を今年のペンテ

コステの朝、再び私たちのうちに轟かせるようにと今朝は導かれています。

1 神が償われる

第一に印象深く私たちに残りますのは「わたしはあなたがたに償う」と告げな

れる神の聖言です。償うのは私たちの方ではないだろうか。少し前には「立ち

返れ」という悔い改めへの招きもあります(12 節〜)。それでも神さまは彼らに

仰せられるのです「わたしはあなたがたに償う」と。

自然災害に限らず、本当の意味で「償う」ことができる人などそういる

ものではありません。実際罪責を負う人が特定されても、その人に償うだけの

力がない場合が多いのが現実です。いなごがもたらした災害、日常生活も、信

仰の歩みも音を立てて崩れてしまったときにいったい誰に責任を問うことがで

きるのか?神はご自身乗り出され「わたしが償う」と告げてくださるのです。

「償おう」というおことばにはそのような神さまの豊かさが生き生きと表され

ています。

2 神が御霊を注がれる

さて、28〜32 節は預言書全体の中で抜きん出て重要な告知です。

神さまは民の損害を償ってくださることで、ご自身が民の只中におられ

ることを明かされるのです。インマヌエルの神です。償ってくださる神さまは

さらに「その後」のことについてお約束を続けなさいます。「すべての人にわた

しの霊を注ぐ。」主の霊は神さまが私たちの間におられるだけでなく、私たちの

間で神さまの著しいみわざを進めなさる方なのです。その方がすべての人の上

に臨まれるというお約束を、いなごの甚大な被害を被った民は受けたのです。

彼らがどれだけの別世界を想像できたのか、分かりません。エルサレムで害虫

のため荒廃しきった現実に唖然としている民に「すべての人にわたしの霊を注

ぐ」と告げられたヨエルの預言のことばは「新しい生活様式」程度のフレーズ

では到底表し得ない驚きと期待を持たせたに違いないのです。すべての人に主

の霊が注がれるので、私たちは皆、信仰の耳を澄ませるならば、主の語り掛け

に辿り着くことが許され、そしてその結果私たちは皆、夢・ヴィジョンを見、

希望を見出すのです。

3 神が救われる

その先にありますのは、救いです。もはやただ単にいなごやバッタのもたらし

た災害からの救いに止まりません。30 節以降に描かれているのは世の終わりの

絵図です。やがて神に創造された世界が終焉を迎える時、あるいはそれを待た

ずに人がその生涯を全うするときに、神さまの公正で厳粛な審判が控えており

ますが、「しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる」約束です。あらゆ

る次元で神さまの御救いが備えられている恵みを覚えて日常に戻って行こうで

はありませんか。

様々な問題や課題、困難と向き合わなければならないかもしれません。

「しかし主の御名を呼び求める者はみな救われる。」神の右の座に就いておられ

る大祭司イエスさまのことを聖霊なる方は日々思い起こさせてくださいます。

あらゆる問題・課題の根元にある罪と悪、汚れと闇に気付かされるでしょうか。

まさに「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。心から悔い改めま

すときに、主はすべての罪を赦し、新しい霊を心のうちに宿して下さいます。

私たちがクリスチャンとされてイエスさまが心のうちにお住まいになっておら

れる、と実感しますのは、聖霊なる方が心に宿ってイエスさまを思い起こさせ

てくださっているからです。そしてやがて私たちが生涯を全う致しますときに、

「主の大いなるおそるべき日」に備えて「主の御名を呼び求める者はみな救わ

れる」とお約束してくださる。

ペテロはヨエルの預言のこの段落に来て躊躇なく十字架の主イエスさ

まを高々と掲げました。そしてイエスの御名の他に救われるべき名はない、と

宣言したのです。そのメッセージは今朝も変わりなく私たちのうちに、そして

私たちを通して響くのだ、と確信しながらペンテコステの祝福をお祈り申し上

げます。

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