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「あなたの居場所へ」 [創世記連講46]

聖 書:創世記31 章1〜21 節

今朝お読みしました箇所を読み返しますと、ここに記されています記事

は、何が起きたかということもそうですが、それ以上に起きた事柄を誰がどの

ように見ているか、ということが記されている場面だと言えることに気づきま

す。何が起きているのか、ヤコブは大いに富を増し加えたのです(30 章)。とこ

ろがラバンの息子たちは悪意をもってヤコブとその家族を非難している。そし

てそんな非難が受け入れられている。

私たちが日常の中で信仰を生きようとするお互いにしばしば起きるこ

とです。何故ならば、私たちに与えられている福音の物差しはこの世の物差し

と異なるからです。このような行き違いが起こると世の中では様々な処世術の

助言を受けます。それらを全否定するには及びませんが、神さまが示してくだ

さる計りは次元が異なります。

ヤコブが不当な扱いと非難を受ける只中で、神さまは彼に現れてなさっ

たのです。そして彼を祝福に向けてさらに前への押し出してくださったのです。

神さまの語り掛けがヤコブにとってどのような後押しとなったのでしょうか。

1 父の神としての後押し

今朝まず心に留めたいのはヤコブが神さまのことを5節で「私の父の神」と呼

んでいるところです。ヤコブが神さまのことを「私の父の神」と言って紹介し

たのは、ただ単に妻たちの父であるラバンを非難するための方便ではありませ

ん。ラバンの態度とイサクの神さまを比較して、いかに父イサクが信頼してき

た神さまがラバンの顔「態度」と対照的に、真実であられるのか、近しくあら

れるのかを証詞しています。

神さまが祖父のアブラハムに対して真実であられたことを思い起こし、

父のイサクに対して慈しみ深くあられたことを想起したのです。神さまの素晴

らしさを身を以て証詞する聖徒に囲まれる恵みを覚えます。

2 私の神、ベテルの神としての後押し

でもそれは始まりでしかありません。ここからがヤコブの証詞の本題です。6

〜13 節。彼はここで何を語っているのか。一言で言い表すならば、私の父の神

は今、私の神となられた、という証詞です。父イサクによくしてくださる神は

今、私によくしてくださっている。祖父アブラハムに真実であられた神さまは

今、私に対して真実であられる。

ベテルで神さまが現れてくださり、ヤコブとともにあってくださる約束

をしてくださった経験がヤコブの信仰のルーツにあります。ただ、ヤコブの証

詞は過去にあった大いなるな出来事に縋(すが)るだけのものではありません。

むしろ、彼の証詞は昨日・今日の話なのです。今まさに私は不当に扱われてい

る、その只中で「しかし神は」と証詞をし(7節)、「こうして神は」(9節)、

「すると、神の使いは」(11 節)と告白することが許される。私の父の神は今、

私の神であられる。ベテルの時にそのことを明かしてくださった神さまは、今朝、

今、私の神であられ、私の羊の毛の色のことでみわざをなしてくださっている。

ヤコブの新しい旅の後押しをしていますのは、私の神となられた真実な神さま

の事実です。確かな事実です。

3 周囲を巻き込む神の後押し

さて、もう少し読み進めましょう。全能の造り主であられる神さまがヤコブの

神、私の神となられたときに、それでは終わらない世界を最後に見せて頂きた

いと思うのです。

ヤコブの証詞を耳にしたラケルとレアの応答が続きます。ヤコブの言葉

に対して二人の一致した意見であるように記されています。

「あなたの言う通りだと認めます。それで私たちは100%あなたについていきます。

あなたがこれまでのことをどのように見てきたのかについても賛同しますし、そ

の結果どのような決断をするようになったかについても賛同します。私たちは、

私たちの父を離れて、あなたの父の神、あなたの神に従う旅に同伴します。」

神さまが乗り出し、ご自身のみわざを始めなさると、当事者であるヤコブ自身

は言うまでもなく、志を与えられて行動に移るのですが、そのみわざは大いに

彼の周りを巻き込んで祝福の実現へと歯車が回り出すのです。

4 結び

イエスさまと出会い、共に歩んだ使徒ヨハネは福音書の冒頭でこのよう

にイエスさまについて証詞をしています。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見

た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとま

ことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)そしてさらに、

「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵み

を受けた。」(同16 節)

私たちはこの一週もイエスさまに押し出されるようにして世に送り出されます。

楽しいことばかりではないでしょう。でも、神さまはご自身を御隠しにはなり

ません。神さまから祝福を受けた多くの先人を私たちに思い起こさせてくださ

います。そして神さまは私たち一人ひとりに「ベテルの経験」へと招いてくだ

さいます。私の神と確信を持って告白する瞬間を与え、その中に留まる恵みを

与えてくださる。この神さまに押し出されて進む時に、私たちの身の回りの方々

もまた神さまの恵みと祝福の渦に巻き込まれていくのです。そのような幻を見

せて頂きながら新しい週を歩み出そうではありませんか。

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