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「神はご覧になり」[創世記連講42]

聖 書:創世記29 章31〜35 節

皆さん、嫌われたことはありますか?新型ウイルスの勢いが増す中で、不安や

苛立ちが膨れ上がり、最近はむしろ様々な方向に指を向けて他者を忌み嫌う傾

向が広がっているように感じています。電車やバスの中で咳やくしゃみをする

人々に嫌味な目線を心で送ったり、配慮に欠けた言動があれば誰彼構わず一斉

に非難轟々雨あられ。そしてとうとう感染をするとまた犯罪者なのか被害者な

のか、と。決してそのような世相を短絡的に非難しているつもりはありません。

私も同罪です。言い訳かもしれませんが、そのような思いや道理は人としてむ

しろ自然でしょう。何も感じない方が特別かもしれません。ただ、今朝の物語

は冒頭から私たちに問いかけます。「あなたは嫌われたことがありませんか」

「主はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれた」

はっとさせられます。神さまが久しぶりに表舞台に現れなさったこともそうで

すが、その理由が「レアが嫌われているのを見て。」夫に嫌われた女性をご覧に

なり、聞きつけなさって神さまは沈黙を破るように乗り出されるのです。私た

ちの神さまはそのようなお方です。そしてレアを懇ろに慈しまれるのです。

この短い段落の中で、神さまがレアに四人の息子を授けなさり、レアは

神さまへの信仰と証詞をそれぞれの名前に麗しく刻みます。今朝はレアの子ど

もたちの名前に目を留めて私たちの神さまがどのようなお方であられるのか、

心を傾けたいと思います。

1 人の悩みに応じなさる神:ルベンとシメオン

ルベンとシメオンには共通する思いが込められています。

ルベンが誕生したときにレアはこう言って喜んでいます。

「主は私の悩みをご覧になった。今こそ夫は私を愛するでしょう。」神さまが

見てくださった。そのことをレアは知って喜んだのです。嬉しかったに違いあ

りません。夫に嫌われる悲しみに、神さまが長男を授けてくださった。「ベン」

とは「息子」という意味、「ルー」とは「見る」という意味のことば。「見てく

ださい、息子を」という名前になったのです。神さまがご覧になるとは、単に

観察なさるという意味ではありません。実際にご自身の際限ない御力を惜しみ

なく働かせなさって応えてくださるという意味です。

アブラハムの妻サラの召使いであったハガルも、窮地から救い出された

とき神さまのことをこう言っています。「あなたはエル・ロイ」「私を見てくだ

さる方」。ハガルもまた、神さまがご覧になることの恵みを味わった母でした。

次男坊に付けられた名前はシメオンでした。この名前にもルベンと共通

するレアの信仰が込められています。

「主は私が嫌われているのを聞いて、この子も私に授けてくださった」(33 節)

神さまが私の惨状を聞きつけてくださった。私の泣く声、訴えることばを聞き

つけてくださった、とレアは感謝しています。シメオンという名前も二つのこ

とばから成り立っているそうです。脚注に記されていますように最初の「シメ」

という音は「シャマー」というヘブル語で「聞く」という意味。それから「オ

ン」はハランの地域の方言で「神」とか「主」という意味だそうです。レアは、

神さまは聞いてくださる方、と感謝したのです。神さまは悩める者、嫌われ者

の訴えを聞いてくださる方なのです。

2 一つに結ぶ神:レビ

神さまはさらに三人目の男の子を授けてくださいました。レアはまたしても思

いのこもった名前を授けます。レビとは「結びつける」という意味。34 節。

「今度こそ、夫は私に結びつくでしょう。私が彼に三人の子を産んだのだから。」

彼女は夫ヤコブと心がつながることを期待してレビと名付けたのです。

レアが祈り望んだことは夫との結びつきが叶うことでした。けれども神

さまはこの名前を授かった男子を殊更に顧みられ、ご自身の御心をレアやヤコ

ブだけでなく、私たちすべてに明かしておられるように思えてならないのです。

レビはやがて他の兄弟同様大きな部族になりますが、他の部族から選り分けら

れて神さまに仕える特権に与ります。彼らは代々、神さまと人とを結びつける

役割、そして生けるまことの神さまの御前でその民を一つに結びつける役割を

担っているのです。ここにも神さまの壮大な御心を垣間見ることができます。

神さまはご自身の民が一つに結びついていることを望まれる。イエスさまも弟

子たちに仰せになりました。

「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたし

もその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」

使徒パウロも繰り返し諸教会に「一致を保つように」お勧めをし、ヘブル書も

集まるのを辞めてしまわないように、と戒めました。神さまは、お互いの結び

つきを、そして神さまご自身との結びつきを人にとって自然の姿、そして唯一

実を結ぶ姿だと教えておられます。

3 礼拝を喜ばれる神:ユダ

4人目の息子に付けられたユダという名前にもレアの証が込められています。

「今度は、私は主をほめたたえます。」(35 節)

レアはもはや空手で神さまだけを仰いで賛美をする心に溢れています。ユダと

は「礼拝する、ほめたたえる」という意味の名前だそうです。子どもを授かり

たい。夫に愛されたい。レアにも様々な思いや願いがあったことでしょう。そ

してその一つ一つに神さまは豊かにお応えになりました。でも、今はその一切

を脇に退けて「神さまだけ」を仰いでいます。ここに礼拝の麗しい姿が描かれ

ているのではないでしょうか。そのような礼拝を私たちも共に献げましょう。

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