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「おいしい料理を作る」[創世記連講36]

聖書 創世記27章1〜25節

今朝は再び(25章からの続きで)エサウとヤコブのエピソードに戻りました。ただ、昨年あまり深く触れなかった25章23節の預言の文言について、ちょっと思うところがありまして。

取り敢えず引用しますと、

「二つの国があなたの胎内にあり、

 二つの国民があなたから分かれ出る。

 一つの国民は、もう一つの国民より強く、

 兄が弟に仕える。」

新共同訳でも

「二つの国民があなたの胎内に宿っており

 二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。

 一つの民が他の民より強くなり

 兄が弟に仕えるようになる。」

前半はそのままで良いのです。二人とも著しい繁栄が約束されています。「分かれ出る」と言われている辺り、兄弟が手に手を取ってという感じではなさそうですが。そして3行目が更に彼らの未来絵図を明確にします。拮抗した力関係ではない。問題は次なのです。「兄が弟に仕える。」

וְרַ֖ב יַעֲבֹ֥ד צָעִֽיר

ちょっと格好を付けると<ヴェ・ラーヴ・ヤアヴォードゥ・ツァイール>と読むんですが、

ヴェが「そして」

ラーヴが「大きい方、多い方」

ヤアヴォードゥは「仕える」

そしてツァイールが「小さい方、少ない方」

という意味になります。

つまり直訳は「強大な方が弱小な方に仕える」ということなのです。

もちろん25章の締めくくりの出来事、それから27章のエピソードを考え合わせると、結果的に兄であるエサウが弟のヤコブに仕えることになるので「兄が弟に仕える」は物語としてはその通りなのですが、25章23節の告知だけを文脈として捉えると、ちょっと意味が変わってくる。強大な方が弱小な方に仕える」を3行目と合わせて考えると、強大な方(つまり仕える方)は兄エサウ(後のエドム)、そして弱小な方(つまり治める方)がヤコブ(後のイスラエル)、ということになりますね。

「一つの国民は、もう一つの国民より強く、

 兄が弟に仕える。」

だと、どうしても強くなった方が弟、という解釈になると思うのですが、それでは話の辻褄が合わないんです。だってエサウは獣を相手にする巧みな狩人になりますが、弟ヤコブは今風に言えばニートですよ。エサウの方が強いのです。族長のしきたりから言っても双子とは言え数分先に生まれたエサウが全てを引き継ぐのですから、ヤコブの立場は限られてしまいます。まさに「虫けらのヤコブ」(イザヤ41章14節)。その弱小ヤコブのためになりふり構わず奔走するのが母リベカなのです。

弱小な人のために奔走し、美味しい料理を準備し、呪いは全て引き受ける覚悟。聖書の中にはそのような「リベカ」が何人もいますね。そしてその最たる方がイエスさまですね、という話をしました。

その主イエスに倣って私たちは今日、だれのためにおいしい料理を作りましょうか?

私たちの教会では美味しいうどんを用意してお待ちしております。

(注:但し来週3月1日に限っては新型コロナウィルスの県内発症を受けて午前礼拝のみになります。祈祷会、教会学校、チャーチ・スクールはすべて休会です。皆さまもどうぞご注意ください!)

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