「レホボテ〜広いところ」[創世記連講35]
聖書 創世記26:17〜33
先週に続けてイサクの生涯です。
ところで注解書や講解書を参考にしていて気づいたことがあります。創世記26章がよくスルーされているんです!アレテイアの黙想でもこの章がとんでましたし、遠藤喜信先生の創世記の講解集でも
12〜25章がアブラハムの生涯、次の本が27章からヤコブの生涯。あれ、イサクは?ウェンナムのWBCの創世記注解でも26章は何だか些末な扱いを受けている印象。どうしてでしょう?資料説関係?
私たちの連講では大事に扱いましたよ!イサクはしばしば父アブラハムややんちゃ息子ヤコブと比較されて、控え目な族長として紹介されています。争うよりは譲るタイプ。平和主義。そして信仰者の品性として平和を重んじることは当然大切なことです。主イエスも平和を作る者は幸いだと教えておられます。
しかし、彼が控え目な人柄であったかと言えば必ずしもそうではありませんし、そんなこと創世記の意図したところではないように思われます。むしろ、神の祝福に対しては貪欲なほど野心的で、その点で彼はアブラハムの信仰を受け継いでいる。争いのない井戸を掘り当てて、彼はその井戸を「レホボテ(広いところ)」と名付けます。井戸を手に入れたイサクは、そこを軸として広大な土地を見渡しているのです。「神さま、争いのない井戸を感謝します」でなく「神さま、この井戸の周囲全部、全部ありがとう」なのです。ヤコブの祝福に対する貪欲さは意外に母リベカからではなく(狡猾さはお母さん譲りでしょうけど)、父イサクから受け継いだのかもしれませんよ。
アビメレク王もなかなかちゃっかりした奴ですよね。経済的な立場が逆転したと分かると、途端に友だちと将軍の二人だけを連れて表敬訪問するんですから。しかも、これまでイサク一族には善だけを望んできたとかシャーシャーと言ってのけるのですから。なかなかの強者です。そんな彼らを宴で迎える辺りは穏やかな人柄なのでしょうね。和平条約も結んでしまいますし。
井戸を得て、広大な土地を見渡す、そんな図々しい信仰に倣って金沢教会は飛躍しますよ!ご一緒にどうぞ!