「私は赦された!」[@福井]
聖書:マタイ福音書9章1〜8節
今朝はインマヌエル福井教会を訪れました。
本日、金沢市内は「金沢マラソン」のために市内各地が交通規制。教会の前の通りはガチでマラソンのコースになり、そのため礼拝の時間帯に通行止め。教会員の皆さんが来会できないということで、年に一度の午後礼拝になっています。つまり、午前は説教をしない日なのです。
それを聞きつけた福井教会の中川先生から「それならうちに来てもいいよ。」
いえいえ、そんな軽いノリではありませんでしたが、福井教会の秋の伝道礼拝にお招き頂き、謹んで御受けした次第です。ちなみに金沢教会は美雪牧師がマルコ福音書から説教を致しました。
福井教会に赴きますのは初めてなものですから、ある意味自己紹介的な意味も含めて自分がクリスチャンになった子どもの頃の話も交えて福音書の聖言を取り次ぎました。英国メソジスト教会では「救い」について4つのallがある、と教えているそうです。すなわち、
(1) All needs to be saved. (全ての人は救われる必要がある)
(2) All can be saved. (全ての人は救われる)
(3) All can know that he is saved.(全ての人は救われたことを自覚できる)
(4) All can be saved to the uttermost.(全ての人は究極まで救われる)
(2)があるのは「滅びるように選ばれた者」を否定する声明、(3)は御霊の証詞、そして(4)は全的聖化(栄化を含めて)を指している、そんなステートメントです。マタイ9章で扱われている「神の赦し」について、この四つの声明を当てはめて学びました。
1. 全ての人は神の赦しを乞わなければならない
2. 全ての人は神の赦しを得ることができる
3. 全ての人は赦されたことを自覚できる
4. 全ての人は徹底的に赦される。
今回は珍しく説教のアウトラインを紹介してしまいました。
福井のICを降りた瞬間から礼拝が始まるまでの間、雷付きの土砂降りになりました。今年の私は間違いなく雨男(おっとこんなこと言って大失敗した大臣が昨日ニュースになってましたね)。しかも礼拝が終わったらカラッと晴れてしまって。。。
※今回のお花は豪華な胡蝶蘭。実は礼拝のためのものではなく、長年金沢教会で真実な信仰を貫かれた姉妹が土曜日に召天され、月曜日にはご葬儀が執り行われたのですが、その葬儀に寄せて贈られたお花です。召された姉妹を想い偲ぶ皆さまの心を表すような麗しさです。私の結婚式(もう20年以上前!)のとき、教会の姉妹が私の胸に胡蝶蘭の生花をブローチ代わりに刺してくださいました。「こんな綺麗な花、私のガラではありませんよ。堪忍してください。」と駄々をこねましたら、その姉妹はきりりとした表情で諌めるように教えて下さいました。
「先生、胡蝶蘭の花言葉は『愛』です。」
その言葉を思い出しながら、皆さんにもお見せ致します。