top of page

「きよめ:主イエス・オンリー」[@小松]

聖書:エペソ書3章14〜21節

今朝はインマヌエル小松教会を訪れました。

台風19号が列島を縦断する最中ではありましたが、金沢−小松間は特段大きな妨げなく往路は混雑もなく到着しました。教会の方々も無事礼拝に集まりなさり、幸いな礼拝をご一緒に守ることが許されました。暖かくお迎えくださり心より感謝申し上げます。

この日お邪魔することになりました経緯は結構急な展開でした。月初にもたれた教区会で秋の教区聖会の打ち合わせをしております際に、テーマとなる「きよめ」の教理について参加される皆さんがおさらいをすることができれば良い心備えになるではないか、というような話になりました。皆でそのようなアイデアに思いを巡らしているうちに、小生が小松教会にお邪魔をして「きよめ」を題材とした説教をすることになりました。。。

「きよめ」に関する教理は幅広く、一言でおさらいと言いましても、どの土台をおさらいするかというところですでに選択肢が多々あります。それで、もう極力だれしもが認めるくらい単純な土台をこの度はおさらいすることにしました。それで「キリスト・オンリー」の生き方を目指し、その中に留まり、貫くこと。「総論賛成、各論保留」の応答が結構聞こえてくるんです。それで各論保留の辺りに目を留めて、使徒パウロがエペソの教会のために献げた祈りをご一緒に読みました。

祈りの内容は「きよめ」の教理に限定されたものではありませんが、相通じる土台がこの上なく明瞭に表現されています。エペソの兄弟姉妹たちが、信仰によって強くなるように。それは取りも直さずキリストの愛の際限ない豊かさを悟る力が強められて、それで安心してキリスト・オンリーになるように、という祈りなのです。イエスだけを頼る生き方をするときに、あれこれ失うものがあるのではないかというのが大方の心配の種。それならばイエスだけを頼る生き方の途方もない豊かさを見せて進ぜようというのが神さまの応答。

最愛の御子を私たちのために差し出された神が、その他の何をケチりなさるだろうかという問い掛けが(ロマ8章)、この祈りの中に流れています。それだから信仰者は何も心配することなく、また疑うことなく安心してイエスさまオンリーの歩みを、きよめの道を進めることが幸いなんです。

次週はまた金沢に戻ってヘブル書の学びを続けます。皆さんとお会いできますように。

(↓お花は金沢教会の講壇のものです。先週に引き続き庭に咲いたコスモスを...)

Featured Posts
Recent Posts
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
  • Google Classic
bottom of page