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「神の手の中に」[ヘブル書連講23]

聖書:ヘブル10章26〜39節(26〜31節)

今朝は先週と同じ朗読箇所になりましたが、先週は後半32〜39節を先に読みました。「しかし私たちは・・・信じていのちを保つ者です」に辿り着いたメッセージでした。

今朝は前半部分を皆で読みました。とても緊張感のある聖言です。神のさばきや復讐について申命記32から引用が取り上げられ、「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです」と続くのですから、怖くもなります。ちなみに31節も申命記32章40〜42節からインスパイアされた聖言だと言えます。神の恐ろしさ、というテーマは少なからず聖書に記されています。あまりにも愛の神や救い主イエスのイメージと馴染まないので、このオソレは「恐れ」ではなく、「畏れ(つまり畏敬)」の意だとよく説き明かされます。言うまでもなく畏敬の念はあるでしょうが、オソレは基本「恐れ」を抜きに語れないでしょう。

確かに「真理の知識を受けた」人々が、それでも進んで罪の中に留まっているならば、「焼き尽くす火」「憐れみのない死」「重い処罰」が待ち受ける、とは末恐ろしいメッセージです。しかもそれは生ける神ご自身の手の中に陥ってそうなるというのです。それだけ神の手のわざは絶対的で不可逆的な結末を迎える末恐ろしい力です。しかし先週学んだ後半32節からを読み進めると、そこには同じ不可逆的な御力で神がご自身の民を生かし、守っておられる様子が描かれています。これもまた「神の手の中に陥る」世界なのです。そして私たちは「恐れ退いて滅びる」側の末恐ろしさではなく、「信じていのちを保つ」側の末恐ろしさ(力強さ)を日々生きることが許されているのです。鍵は信仰。そしてその信仰について次週からいよいよ丁寧に読み進めます!乞うご期待。

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