「罪の身代わりを越えて」[ヘブル書連講19]
聖書:ヘブル書9:23〜28
ごめんなさい。またアップが遅れました。
週の前半出掛けるところがあって、
ところが宿泊先にwifiがなくて。。。
そうこうしているうちに週の後半に。
さて言い訳はそこまでにして、先週の聖言。
9章では旧約時代の「幕屋」がモチーフになります。
前半では(これまで学んできましたように)、
幕屋の中で献げられるいけにえが贖罪の恵みを
表していた点が示され、主イエスがご自身を
その贖罪のいけにえとしてお献げになった意味合いを
味わいました。
「身代わりだけじゃない、十字架」
後半になりますと、再び視線は大祭司に戻ります。
そして彼らの執り成しのつとめに焦点が当てられ、
主イエスが今も生きて、本物の幕屋である天に入り、
信仰者の歩みのために絶えずみわざを果たしておられること、
そしてやがて聖徒たちが本当に報われるそのときを
期待して、信頼して待ち望むように励まされた次第です。
新約時代の聖徒たちはキリストの再臨を今日か、明日か、
という勢いで待望していました。それは遠征的な意味ではなく
神が主イエスにあって備えて下さっている審判と報いに
何よりの期待を抱いていたからです。
今日の兄弟姉妹たちがもし、そこまで再臨に期待感を
抱いていないとすれば、それはほぼ間違いなく
毎週講壇から説教を語る説教者たちが、その素晴らしさを
十分に伝えきれていないのだろうな、そう自戒しつつ。。。