「十字架のイエスを信じる」【台湾編】
ガラテヤ3:1〜14
今週は教会の中高生5名を引率して、
計7名で台中教会の礼拝に参列しました。
中高生には「10の災い」を演じて頂き、
引率の姉妹には救いの体験談を話して頂きました。
ちょうどガラテヤ書からお話しようと願っていたテーマと
どちらもリンクしていたのでベストでした。
初代の教会時代から今に至るまで、救いの経験は同じ。
十字架につけられた主イエスを信じて自分と結びつける、
使徒パウロは「あれほどの経験をした」と言って
ガラテヤの聖徒たちに思い起こさせようと試みています。
「信じる」とは、アブラハムが神に言われて夜空の
星々を数え上げようとして、もう神さまに任せよう、
そう心に決めたあの姿なのだ、とパウロも諭しています。
数えようったって数えられないものがある、
理解しようったって悟り切れない神の世界がある、
同様にイエスの十字架にも理屈で説明できないところがある。
でも神さまに任せよう、福音が伝える通り!
神さまはそのように、純にすがる人々の姿を喜ばれます。
そして全力で信じる者を救い、守り、支え、助けてくださる。
台中の皆さまと同じ主イエスを仰ぐことができて幸いでした。
ちなみに本陣の金沢教会では
ヤコブ書1:19〜27
「聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅く」
と題して美雪牧師が当務を致しました。
来週はヘブル書の連講に戻ります。是非いらしてください!
※台湾からのお土産もあります