「祝福を重んじる」[創世記連講33]〜前半最終回〜
創世記25:19〜34
朗読箇所は先週と同じですが、
先週は双子が誕生するまでで、時間切れとなりましたので、
今週は後半、例の「赤いレンズ豆スープ事件」の話し。
いろんな教訓が盛り込まれるエピソードですよね。
育児の専門家は両親の偏愛を非難するし、
エサウびいきはヤコブのあざとさを非難するし、
ヤコブファンはエサウの愚鈍さを嘲るし...
なんかいいところのない話しにさえ見えてくる。
でも創世記の記者はこれらのどれについても
コメントは控えていますよね...
私たちあまり変な批判や断罪を勝手に
拡散しない方がいいのかもしれません。
創世記の記者が厳しく戒めているのは一点だけ。
「エサウは長子の権利を侮った」
これがすべての元凶になる、という教訓。
長子の権利とはいわゆる相続権ですが、
創世記のナラティブの中では
「約束された神からの祝福」を形にした賜物。
言い換えれば神さまからのプレゼントを侮った、
ここが致命的だったというエピソード。
私たちが神さまから頂いたプレゼントは何だろう?
それらを大事にしているだろうか、と考えさせられました。
「すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、
上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。」
イエスさまの兄弟ヤコブはこう記していますね(ヤコブ1:17)。
神さまからのプレゼントが何か、見にいらしてください。
教会でお待ちしています。