「祝福を継いで」[創世記連講31]
創世記25:1〜11
創世記連講の前半折り返し地点に辿り着いた感がします。
連講もあと1、2回しましたら一息入れます。
さて、今朝はアブラハムの死のところを読みました。
壮大な人生を歩み、信仰者としても偉大な模範を残してくれた
アブラハムの死があまりにもあっさりしているところに
違和感を覚えますが、
「アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、
生き絶えて死んだ。そして自分の民にくわえられた。」
という短い聖言の中に込められている様々な経験や教訓に
思いを馳せました。
イサクとイシュマエルが共同で父親を埋葬している場面が
心に焼き付きました。
イサクはその後、ベエル・ラハイ・ロイの近くに
居を構えますが、これは言うまでもなくイシュマエルの
母ハガルが「神様はご覧になっている」と感謝をして
命名した井戸の名前。これもまた感慨深い。
どうでもよいことですが、
「アブラハムには七人の子〜、一人はのっぽで...」
という歌を思い出しました。でもアブラハムには少なくとも
八人息子がいますから!