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「開かれた門」

  • 総員伝道礼拝
  • 2019年2月3日
  • 読了時間: 1分

聖書:ヨハネ黙示録3:7〜13

今朝は月初めの礼拝なので、新しい方々を特に意識しての

プログラム内容になりました。

創世記の学びを続けるのも幸いですが、

教会総会を越えて一発目の総員伝道礼拝ですから、

思い切って連講を一休みしました。

黙示録、と言いましてもおどろおどろしい場面はありません。

実際最初の2〜3章は普通の(?)手紙です。

エーゲ海東岸地域の環状道路沿いに建てられた

諸教会の中から7つの教会に書き送られた手紙の数々。

今朝は6つ目の教会フィラデルフィア教会宛の手紙を読みました。

特に教会の前に誰も閉じることができない門を開いておいた、

というメッセージを読み取りながら、教会って

そのような門の役割を果たしているな、と頷きました。

門の前に立つ者は皆、選択を迫られます。潜るか、否か。

神の国に入るのも、歩いていたらいつの間にか入っていました、

というわけにはいかない。どこかで覚悟と決意をして

意識的に入るのです。教会ではそのような心の営みを

悔い改めと呼んで重んじてきました。

最後に同じヨハネが記した福音書から主イエスの聖言を一つ;

「わたしは門です。

 だれでも、わたしを通って入るならば救われます。」

(ヨハネ福音書10章9節)

 
 
 

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