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「献げる人々・備える神」[創世記連講28]

聖書:創世記22章1〜19節

ここは結構理解に悩むところ。聖書の神も人身御供を求めるのか?

でもこれまでの礼拝での聖言を思い起こせば、

(実は昨年はほぼ一年かけて創世記の前半を学んできました)

聖書の神さまがそのような方ではないことは解るのですが、

それにしても...

今朝はこの章の中で特に浮き彫りになっている二つのテーマに

集中して読んでみました。「ささげる」ということ、そして

「備える神」。そうなんです。実はこの段落に描かれている神さまは

ささげ物を要求なさる神ではなく、備えなさる神。

だからこそ結びが「アドナイ・イルエ」(神は備え)。

「ささげ物」という営みは教会につきものです。

礼拝を献げる、祈りも(讃美歌も!)献げる、ご奉仕を献げる、

そして献金(もろに「金」を「献」げる!)。

意味の守備範囲が広いことばですし、そしてぶっちゃけ

「宗教」に対して一般の方が引っ掛かるのもここではないだろうか。

そんなことを踏まえながら教会総会の心の準備も兼ねて、

今朝はこのテーマに取り組んでみました。

「献げる」ことについては今年も繰り返し学べると思います。

是非お出掛けください!

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