「主の道を整えて」[待降節②]
聖書:マルコ福音書1章1〜7節
今朝はぐっと気温が下がりました。
皆さま、本当によくお出掛けになられました。
クリスマスを前にして、先週は待ち望む信仰を学びましたが、
今朝は備える奉仕をバプテスマのヨハネから学びました。マルコの福音書って
よく考えてみればいわゆる聖誕劇の舞台となる出来事が何も記録されていない。
それでも救い主の到来に備える、という意味ではクリスマスのメッセージは
汲み取れますね。
それにしても、今朝皆さんとご一緒に聖書を読みながら印象に残りましたのは
「荒野」というロケーション。読んで字の如し。荒れ果てた土地、不毛の地、
動植物が育つには不適切な環境、渇き切って砂嵐が舞う大地(西部劇の見過ぎ?)。
でも、聖書に登場する荒野は確かに荒れ果ててはいるものの、しばしば
神と出会う場所であり、神の御声を聞く場面でもあるのです。イザヤの預言も
そうですし、旧約聖書で代表的な荒野といえば、出エジプトを果たしたイスラエルの民が
40年の間モーセに率いられて進んだ荒野。そこで彼らは神と出会い、神の恵みを経験し、
何より神が伴われることを知ったのです。さらにさかのぼれば、ちょうど礼拝で
学んでいる創世記にも荒野で神の恵みと祝福を得たハガルとイシュマエルの場面を
思い起こしますね。
私たちの日常の中にも「まるで荒野だよ」と言っていやになるようなところを通過する、
そんなことがあるでしょう。いくら頑張っても不毛。そして心が渇く。
でも、そのような中で神と出会い、その恵みによって癒され、力づけられる経験を
することができる。これもまた、クリスマスのメッセージです。
今朝はそんなことを思い巡らせながら礼拝を締めくくりました。
来週、また皆さまと礼拝をお献げしましょう。新しい方々も大歓迎です!